救急車が到着し、私の案内で厨房になだれ込んできた救急隊員が料理長の寝転がっている状態を写真に撮り、即座に担架に載せて運び去っていった。
「どこの病院に運ぶんですか?」と尋ねてみたが「まだわからない」という答えが返って来ただけだった。

救急隊員と入れ違いに制服の警官が入って来た。あのジムという白人警官とまだ若い新米警官だった。
「お前は出入り口を封鎖しろ」ジムに言われて若い警官は飛び出して行った。
ジムは、厨房を舐めるようにじっくりと観察し、勝手口の施錠状態を確認した後、料理長がうすくまっていた場所に歩み寄るとそこにしゃがみこんだ。
その床には赤い血糊がべったりと残っている。

立ちあがったジムは割れた窓ガラスをしばらく観察していたが、やおら振り返ると、窓に対面する壁を睨みつけ、「ふん」と鼻から息を漏らした。


「それじゃあ聴こうか」ジムは私に向き直ると「何があったのが順序立てて話してみろ」と言った。
私は、2階の自室で本を読んでいたこと。料理長が遅くに帰ってきた物音がしたこと。その時の時間が午前2時になっていたこと。料理長がすぐに2階に上がって来なかったこと。目覚ましをかけてベッドに横になったこと。眠りについてすぐに銃声で目が覚めたこと。を思い出すまま出来るだけ詳しく話そうとしたが、話の枝葉に肉づけをするゆとりはなかった。

「じゃあ、銃声を聞いて降りて来たのか?言い争う声とかしなかったのか?」
ジムに訊かれて、私は「ああ、そう言えば料理長の怒鳴る声がして目が覚めたような気がします」と独り言のように呟いて、「そうだ。ガチャンとガラスの割れるような音がしたので目が覚めて、その後でバンと音がしました」と答えた。

ジムは「眠ってたのか?」と改めて訊くので「はい。泥のように」と答えた。
「寝覚めの記憶は当てにならんが、もう一回訊くぞ。声がしてガラスが割れて銃声の順番か?」そうジムに念を押されて、じっくり考えてみた。
確かにそうだ。夢の中で誰かが叫ぶ声がして、ガチャンと何かが割れて、その後でバンという音がした。
ジムにそう言うと、棒立ちになったままのジムは眉間に握りこぶしを当てて、しばらく考えを巡らせていたが、ふと目をあげると「ところでいつもサリーはここで寝てるのか?」と訊いてきた。
「いえ、いつもは2階に自分の部屋があってそこで寝ています」
と言うと、「昨日だけたまたまここで寝てたのか?」と訊くので、「昨日は料理長が外で飲んできてたので、おそらく厨房で一息ついてたんじゃないでしょうか」と言うとジムは「推測はいらん」とはねつけた。
「はあ。でも帰ってきたのは分かりましたが、すぐには2階に上がって来なかったから、酔い覚ましをしてたと思うんですよ」
そう言って流し台を覗くとシンクの中に半分水の入ったコップが見えた。
「ほら、ここで水を飲もうとしたんじゃないでしょうか」
ジムもシンクを覗きこみ、そのコップを手に取ると持ち上げて中の水を電灯に透かして見ていた。

それを元に戻すと、ジムは「お前が救急車を呼んだのか?」と訊くので「はい。僕が911通報しました」と答えると、「救急車が到着するとき迎えに出たのはお前なのか?」と言うので「そうですよ」と答えると、ジムは「そのとき表玄関の鍵はお前が開けて出たのか?」と訊いた。

これはすぐにわかった。「いえ、鍵は開いていました。ドアノブに手を掛けたら開いてたから『料理長、不用心だな。だから泥棒に入られたんだな』と思いましたもん」と答えると、ジムはちょっと何かを言おうとしたが、それを打ち消すように「そうか」と言って、それ以上質問されることはなかった。

少しして本署から私服の刑事と鑑識作業員が到着した。
ジムは要領よく事案概要を伝えると、刑事に窓ガラスの割れ方を説明したあとでその窓に対面する壁を指して「ここに銃弾が当たっている」と言った。
鑑識課員がその壁を観察し、写真撮影をしたあとで穴を穿り返して1個の弾丸を摘出した。

ジムはその後で鑑識課員を店の表玄関まで連れて行き、ドアノブを中心に鑑識作業をさせていた。

その間、私は刑事からさっきジムから訊かれたことと同じようなことを質問され続けた。

刑事から「そのときの時間が2時だったというのは間違いないか?」と訊かれ、目覚ましを合わせるときに見たから間違いないと、そう答えたときにタイミングよく私の部屋から目覚まし時計のアラームが鳴り始めた。もう5時だ。


そのあとで本署まで連れて行かれ、たっぷり2時間かけて供述書をとられた。

その間に尋問室にジムがやってきて、料理長が搬送された病院の名前を教えてくれた。
「腕の骨はタマがかすっただけだ。折れていないから安心しろ。だがあと数センチずれてたら命は無かったかもな」
「料理長は助かるんですか!」
「酋長は死なず。だ。あとで見舞いに行ってやれ。おそろしく悪態つかれるだろうがな」

私がほっとしていると、ジムは「さっき、その酋長にも確認したんだが、出入り口の鍵は最初からかかってなかったようだな」と言った。

料理長に話を聴いたら、帰って来たときに玄関に鍵がかかっていなかったようだと答えたらしい。

「お前たち、いつもは裏口の方を使ってるんじゃないのか」
「だいたい、そうです」

日頃、外に用事のあるときは勝手口を使うが、時と場合による。

昨晩、表通りから帰ってきた料理長はいちいち裏に回らずに表玄関から入って来たのだろうと自然に思っていた。

鍵が開いていたなんて・・・昨日は店休日だから表の玄関口は前日の閉店後から鍵はかけたまんまだったはずだ。

「じゃあ、犯人が鍵を壊して入って来たんでしょうか?」
「ドアには鍵をこじ開けた痕がついていないんだよ」
「え?」

私は睡眠不足の重い頭を巡らせて記憶を辿った。

昼間、ジェロの家で勉強を教えたあと、図書館に寄って歴史書を借りて帰った。

『トーキョーさんのおかげで数学が得意になったよ。次に苦手なのは歴史なんだ』

ジェロのくったくのない笑顔が蘇る。

あの後、この建物にはどっちから入ったか。裏か表か?
ジェロにどうやってアメリカの歴史を教えるか。教師にでもなった気分のまま考え事をしながら帰って来たから、表出入口から入って、鍵をかけるのを忘れてしまったのだろうか?

ぼんやりしていると、「いいかね?」と声がして、はっと目をあげると事情聴取を担当している刑事がタイプライターで打ち終えた調書用紙を私に差し出していた。
「読んで内容に間違いがなければ、最後のページにサインしてくれ」

都合5ページにわたり、びっしりと活字のならんだ供述書には、私が訊かれて答えたことが概ね網羅されている内容だった。
ただ、表玄関については閉店後に鍵をかけて以後開けてないと思う。という曖昧なまま結ばれていた。

末尾にサインすると、満足そうな顔をした刑事が「はい、ご苦労さん。また尋ねたいことが出来たら店に寄るから」と言って私は解放されることになった。





尋問室を出ると、警察署1階のロビーにチェンが立っていた。

「何も食べてないんだろ」そう言ってチェンはサンドイッチを差し出してくれた。
黙ってそれを受け取ると、ベンチに腰かけてひと口齧った。「料理長は無事みたいです」口の中でパンを咀嚼しながらそう言うと、チェンは「そう」と言って、安心したのか崩れ落ちるように私の隣に腰を下ろした。
「玄関の鍵のかけ忘れだそうだね」とチェンは痛いとこを突いて来た。すでにジムの尋問を受けたのだろう。
「良く覚えてないけど、必ずかけていたかと言われると自信がありません」
「まあ、よくあることよ。気にしなさんな」
そう慰められても、なんだか不本意だった。本心を言えば鍵はかかっていたはずだと自分では思っていたからだ。でもそれを主張するのは言い訳じみているので口には出さなかった。



ふたりで料理長が入院している病院へ行ってみた。

料理長の右腕にはぐるぐると包帯が巻かれ、左腕は点滴のチューブに繋がれていた。

私たちを認めると「ざまあねえや」とつぶやいて起き上がろうとしたので、慌てて制止する。
「骨には異常はないんだ。大げさすぎらあ」料理長は仰向けのまま天井を凝視していた。

私は気になってしょうがなかったので、たまらずに料理長に尋ねた。
「表玄関に鍵がかかっていなかったというのは本当ですか?」
料理長は天井を睨んだまま「ああ」と答えた。
「間違い・・・ないですか?」
「あんた、やめなよ」とチェンが口を挟んだ。
「すみません。責任逃れをしようと思ってるわけじゃないんだ」私がそう言うと、料理長は「俺も良い気分に酔ってたから、はっきり覚えてねえよ。ただな、俺は昨日鍵を持たずに出ちまってたんだ」
「え?」
「ジムが俺の服のポケットを探っても鍵がねえから、あのやろう無断で俺の部屋を探しやがって、そしたら枕元に置きっぱなしになってたそうだ」

鍵を持たずに帰ってきたのに玄関から入れたのなら、鍵はかかっていなかったということだ。

重い責任がのしかかる。




店に戻ると、チェンが私物をまとめはじめた。
「どうせ、しばらくは店を開けられないでしょ」そういうと冷蔵庫から勝手に食材を出して袋に詰め込み、そのまま帰って行った。

料理長が回復するまで店を閉め続けなければならない。

それは死活問題だった。

冷蔵庫を覗いてみると、買いこんでいたはずの骨付きの豚のばら肉がごっそりと抜き取られていた。



チェンにこの店をどうにかしようという気はないらしい。かと言って私に何が出来るかと言われると何も出来ない。

また旅に戻るのか。それには蓄えが少な過ぎた。

途方に暮れて客席に座り込んだとき、玄関から男性が入って来た。

「今日は閉店なんです」

そう言うと、男は「そりゃ、そうだろうさ」と言ってずかずかと近づいて来た。
聞き覚えのある声だと思っていたら、それはジムだった。

私服だからすぐには分からなかったのだ。

「お前に聴きたいことがあってな。お前、旅行者なんだろ?」

「はい」

「盗人を手引きするためにこの店に入り込んだんじゃないのか?」

ジムの言っている意味が分かるまで時間がかかった。

「え?そんな疑いがかかってるんですか?」








(以下、次号)