ひげ部のシンボルマークが「ごはん」であったように
誰にでもシンボルマークはある
何をシンボルマークにするかは自由である
今日、七条河原町を歩いている時、京都のシンボルマークである「京都タワー」が話題に上がった
ろくに京都から出ない母が「新幹線から見える京都タワーってほっとするな」と言い、それを母の友人がちくちくつつく
私が「こないだ見たテレビで、京都出身の女優さんも同じこと言うてたで」と言う
その後
「市内をうろうろしていても、京都タワーが見えると安心する」
「少し市外に出ても京都タワーにたどり着くとほっとする」
「地元から見てもほっとする」など、エピソードがぽろぽろ出てきた
やっぱり京都タワーは京都のシンボルマークだということで話が落ち着く
京都に住む人なら、このくらいの話はしたことがある、と思う
地元にたどり着いて、名神高速道路が見えてきたとき
いよいよ帰ってきたという実感が湧いてほっとしてきた
「名神見ると、帰ってきた~って感じするよな。四条あたりとか、ここらへん歩いてると明るいし、なんやかんやと店あるし、楽しいけど・・・一番おもしろくないの、七条とか五条とかやな~なんもない」
私の一言に母の友人が食いついた
「あんだけ京都タワー、京都タワーって言うてたのに! 京都タワーに謝って!」
・・・
「京都タワー、ごめんなさい」
シンボルマークは自由だと思う
時と場合によって変わるものであるとも、思う