光太郎と智恵子 濃密な時間 | もんちゃんのブログ

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いつも楽しく拝見させて頂いているufufuさんのブログには、

今は亡きご主人さまへの深い愛がさり気なく綴られています

今夜はそのブログを拝見して、思わずホロリとしました

そしてやはり仲の良い夫婦だった高村光太郎と智恵子を思い出しました

お互い強く惹かれ合い結ばれた二人でしたが、

妻の智恵子は精神疾患を患い、人間の枠を超えて、

そして亡くなってしまいます

高村光太郎の詩は、中学生の時、教科書で『道程』を知ってから好きになり、

詩集を買って読みました

智恵子抄は中学生の私には些か難しかったのですが、

今改めて読み返すと、胸に迫るものがあります




あどけない空

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。



何気ない夫婦の会話のようですが、

文芸評論家の北川太一氏によると

「あどけない話」という詩があるがあれを読んでいると、あの詩は牧歌的な良い詩だと言われているが、 

千恵子抄のなかで、あの詩ほど哀しい詩はない。

あの詩を書いたその日に智恵子さんの生まれた家が競売にあっている。

そのことを高村さんは知らない事は無い。

あんなに愛した安達太良山の上の空が、もう自分のものではなくなってしまった智恵子に対して、どう言って慰めて良いのか、どう智恵子を抱きかかえて良いのか分からないような高村さんの気持ちが、あの詩にはとっても良く表れていると思う。

一番最後の「あどけない空の話である」という一行がすごく辛い響きを持っている。

だからこの詩は牧歌的というよりも、智恵子の故郷喪失に対してどう智恵子を抱きしめていったらよいのかという(高村さんの)気持ちがこもっている詩だと思う。(北川太一氏談)



光太郎の智恵子への変わらぬ思いが伝わってきますね



千鳥と遊ぶ智恵子

人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちいーー
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。



精神に異常をきたした智恵子を連れて、光太郎は九十九里浜へ療養に訪れます

ここで光太郎は献身的に看病したそうです

しかしその甲斐なく、智恵子は52歳の若さで亡くなりました

闃として二人をつつむこの天地と一つになつた。


"わたしもうぢき駄目になる"という智恵子の叫び

"この妻をとりもどすすべが今は世に無い"

という光太郎の慟哭が私の胸に突き刺さります


夫婦として過ごした年月は短かったけれど、光太郎と智恵子は誰よりも濃密な時間を過ごしたのだと思います