モーモールルギャバン/サイケな恋人
なんでいつも
自分を大切にしてくれる人を大切にしないで
自分を大切にしてくれない人を大切に思ってしまうんだ
生産性が皆無。
Supercar/Low Down (Live Scene)
ジャーナリストの森田浩之のツイートがおもしろい
以下、http://twitter.com/hiroyuki_moritaから抜粋。
「W杯とメディア」1・時間がかかったが、南アフリカ・ワールドカップの日本のメディア報道について、少しまとまったものを書き終えた。メディアが伝えた日本代表の躍進の理由は、チームの「一体感」だけだったという話。
「W杯とメディア」2・日本代表の躍進の理由として「一体感」以外にあげられているものがほとんどない。直前の戦術変更がどんなものだったかがわからない。本田圭佑が1トップに起用されたのはなぜか。阿部勇樹が抜擢されたアンカーの役割とは何か。そんな肝心なポイントがほとんど説明されていない。
「W杯とメディア」3・ところが「一体感」をめぐる物語のほうは、実にたっぷり語られている。川口が音頭をとった選手だけのミーティングで、闘莉王が「俺たちは下手なんだから泥臭くやらないと」と声を荒げた。直前に控えに回された俊輔や楢崎は、腐ることなくベンチを盛り上げた……。
「W杯とメディア」4・カメルーン戦前の君が代では、先発もベンチも肩を組んだ。ニッポンはひとつになった。だから、ゴールを決めた本田は真っ先に控え選手のもとに走った。デンマーク戦でFKを決めた遠藤がベンチへ走ったのも、ドイツ大会で出場機会がなかったので控えの気持ちがわかるためだ…。
「W杯とメディア」5・この「物語」は、どの新聞を読んでも、どのテレビ番組を見ても、ほぼ同じように語られている。同じように語られているからといって「事実」とはかぎらない。むしろ逆と考えるほうがまともだろう。たいていの物事はそれほどシンプルではないからだ。
「W杯とメディア」6 つまり、この物語はわかりやすく加工されている。その加工が意識的なものかどうかは不明だ。ともかくこの物語に触れることなく、現地で日本代表の4試合を見た身には違和感しか起こらない。スタジアムで普通に見ていれば、日本の躍進を可能にしたのは個人の能力と思えるからだ。
「W杯とメディア」7・たとえば2ゴールを決めた本田、突破とアシストが光った松井大輔、欧州からもフィジカルの強さを注目される中澤佑二と闘莉王の2人のCB。彼らの個人としての能力がなければ、日本の好成績はなかった。それをメディアは語らない。彼らが一体感に寄与したことばかりに注目する。
「W杯とメディア」8・典型的なのがデンマーク戦後の報道だ。日本が決めた3点はFKが2本と、本田のすばらしい切り返しから岡崎が流し込んだゴールだ。どれも個人の力である。だが直後に書かれた新聞記事には〈一体感を選手自身で探し当てた〉〈組織力生かしさらに上位を〉といった言葉があふれた。
「W杯とメディア」9・メディアは南アフリカのピッチで起きていたことを語る言葉を見つけられないあまり、〈一体感〉というあいまいな言葉ですべてを説明したがっていたようにみえる。メディアによれば、この〈一体感〉は日本代表という名のチームだけでなく、日本社会全体を覆っていた。
「W杯とメディア」10・たとえば、〈日本中が沸いたのは選手たちの固い団結力と、最後まで勝負をあきらめないひたむきな姿勢〉(東京新聞)があったからであり、〈控え選手も含めたチームワークで成長していく様子に、見る側が自分の人生を重ねて希望を寄せたから〉(毎日新聞)だったという。
「W杯とメディア」11・こうなると、もはやサッカーのイベントに関する解説ではない。これは「国民」のあるべき姿についての記述だ。けれども、日本代表の勝利を喜びながらも、そんなことを思っていた日本人がどれだけいるというのだろう。
「W杯とメディア」12・「日本代表」という名のチームの特質とされた「一体感」が、同じくメディアが多用した「日本人らしいサッカー」という言葉にからみ合う。個を捨てて、集団に「一体感」をもたらし、団結・結束できることが「日本人らしい」と言われているように聞こえて落ち着かなくなる。
「W杯とメディア」13・いや本当か。「一体感」と「日本人らしさ」という言葉は、たまたま重なって、からみ合って聞こえただけなのだろうか。もしもメディアが本気で「一体感」を「日本人らしさ」の一部として語っていたのだとしたら、もっと心が落ち着かなくなるのだ。(ひとまず終わりです)
ジャーナリストの森田浩之のツイートがおもしろい
以下、http://twitter.com/hiroyuki_moritaから抜粋。
「W杯とメディア」1・時間がかかったが、南アフリカ・ワールドカップの日本のメディア報道について、少しまとまったものを書き終えた。メディアが伝えた日本代表の躍進の理由は、チームの「一体感」だけだったという話。
「W杯とメディア」2・日本代表の躍進の理由として「一体感」以外にあげられているものがほとんどない。直前の戦術変更がどんなものだったかがわからない。本田圭佑が1トップに起用されたのはなぜか。阿部勇樹が抜擢されたアンカーの役割とは何か。そんな肝心なポイントがほとんど説明されていない。
「W杯とメディア」3・ところが「一体感」をめぐる物語のほうは、実にたっぷり語られている。川口が音頭をとった選手だけのミーティングで、闘莉王が「俺たちは下手なんだから泥臭くやらないと」と声を荒げた。直前に控えに回された俊輔や楢崎は、腐ることなくベンチを盛り上げた……。
「W杯とメディア」4・カメルーン戦前の君が代では、先発もベンチも肩を組んだ。ニッポンはひとつになった。だから、ゴールを決めた本田は真っ先に控え選手のもとに走った。デンマーク戦でFKを決めた遠藤がベンチへ走ったのも、ドイツ大会で出場機会がなかったので控えの気持ちがわかるためだ…。
「W杯とメディア」5・この「物語」は、どの新聞を読んでも、どのテレビ番組を見ても、ほぼ同じように語られている。同じように語られているからといって「事実」とはかぎらない。むしろ逆と考えるほうがまともだろう。たいていの物事はそれほどシンプルではないからだ。
「W杯とメディア」6 つまり、この物語はわかりやすく加工されている。その加工が意識的なものかどうかは不明だ。ともかくこの物語に触れることなく、現地で日本代表の4試合を見た身には違和感しか起こらない。スタジアムで普通に見ていれば、日本の躍進を可能にしたのは個人の能力と思えるからだ。
「W杯とメディア」7・たとえば2ゴールを決めた本田、突破とアシストが光った松井大輔、欧州からもフィジカルの強さを注目される中澤佑二と闘莉王の2人のCB。彼らの個人としての能力がなければ、日本の好成績はなかった。それをメディアは語らない。彼らが一体感に寄与したことばかりに注目する。
「W杯とメディア」8・典型的なのがデンマーク戦後の報道だ。日本が決めた3点はFKが2本と、本田のすばらしい切り返しから岡崎が流し込んだゴールだ。どれも個人の力である。だが直後に書かれた新聞記事には〈一体感を選手自身で探し当てた〉〈組織力生かしさらに上位を〉といった言葉があふれた。
「W杯とメディア」9・メディアは南アフリカのピッチで起きていたことを語る言葉を見つけられないあまり、〈一体感〉というあいまいな言葉ですべてを説明したがっていたようにみえる。メディアによれば、この〈一体感〉は日本代表という名のチームだけでなく、日本社会全体を覆っていた。
「W杯とメディア」10・たとえば、〈日本中が沸いたのは選手たちの固い団結力と、最後まで勝負をあきらめないひたむきな姿勢〉(東京新聞)があったからであり、〈控え選手も含めたチームワークで成長していく様子に、見る側が自分の人生を重ねて希望を寄せたから〉(毎日新聞)だったという。
「W杯とメディア」11・こうなると、もはやサッカーのイベントに関する解説ではない。これは「国民」のあるべき姿についての記述だ。けれども、日本代表の勝利を喜びながらも、そんなことを思っていた日本人がどれだけいるというのだろう。
「W杯とメディア」12・「日本代表」という名のチームの特質とされた「一体感」が、同じくメディアが多用した「日本人らしいサッカー」という言葉にからみ合う。個を捨てて、集団に「一体感」をもたらし、団結・結束できることが「日本人らしい」と言われているように聞こえて落ち着かなくなる。
「W杯とメディア」13・いや本当か。「一体感」と「日本人らしさ」という言葉は、たまたま重なって、からみ合って聞こえただけなのだろうか。もしもメディアが本気で「一体感」を「日本人らしさ」の一部として語っていたのだとしたら、もっと心が落ち着かなくなるのだ。(ひとまず終わりです)
神聖かまってちゃん/ 口ずさめる様に
バイト先の事務室に一人でいたら
高校の部室のにいるような感じがした
なんだかしみじみしました。
バイト先の事務室に一人でいたら
高校の部室のにいるような感じがした
なんだかしみじみしました。
