おはようございます(⌒0⌒)/~~
今日は土曜日、のんびりな日です。
でも、朝から泣いてます(;_;)
今日はあえて…
この記事を書きます。
私が私のままでいるのに必要だと思ったから。
家族での新年会をした4日。
弟の携帯に病院からの連絡がありました。
「母のこれからについて説明したい」とのこと。
今回はなぜか「行こう」と思った私。
10日(木)偶然にも次男君の帰りが早い。
姫ちゃんの小学校へのお迎えを初めて次男君にお願いし、私は…病院へ向かいました。
医師と会う前に、お母さんに会いたいなと思ったら…面会制限がかかっていました。
病棟でインフルエンザが流行、落ち着くまで制限するとのこと。
説明は病棟のカンファレンス室。
入院してからの経過を全て説明してくださいました。
嘔吐→胃カメラ→ピロリ菌→除去のための鼻チューブ(投薬を吐いてしまうため)→食事訓練再開→大腸から出血→血尿→膀胱炎→経口ゼリー+栄養補給で鼻チューブ
今までの病気…脳梗塞、慢性腎不全、慢性心不全、糖尿病。
腎不全の方は、今のところ月2回の注射で管理。
糖尿病は、インシュリンが必要なくなった。
出血が怖いので、脳梗塞の血管サラサラ系を投薬を止めている。
状態がやっと落ち着いたので、
これからのことを考えていきたいとお話がありました。
今のままでは、栄養が足らないのと本人の食事拒否がある。
☆胃ろうをやりたいと思っている。
透析になってしまうと、より痛い想いをする。
鼻チューブもとってしまうので、手を拘束。
そして入れ換えが痛い…
胃ろうなら施設としても受け入れがあるけど、
鼻チューブだとほぼ難しい。
本人にとって、より苦痛が少ない方法を考えてみてほしい。
☆延命処置について
具体的には心臓マッサージ、人工呼吸器、電気ショック…落ち着いてるこの時期に決めておいてほしいとのこと。
私は…延命処置については結論が出ました。
もう、これ以上頑張らなくていい。
最近の日常的な様子も話してくれました。
はっきりと「おはよう」が言えたり、
笑顔をみせたり、笑い声もたてたときもあったとのこと。
アップダウンはありますと。
胃ろうについては…すぐに答えを出せなくて持ち帰りました。
妹にも結果報告。
急だった時は、心臓マッサージだけしてほしいとのこと。
今まで、本当に頑張ってきた母です。
糖尿病昏睡から復活して、一時期は歩けない時期もありました。
それでも歩けるようになり、孫たちを一緒に子育てしてくれた。
2年前の4月に脳梗塞で緊急搬送。
最初は命さえ危なかった。
右手右足片麻痺、意識障害。言語を話すのも理解するのも難しいだろうと言われてた状態。
右手も右足も前ほどではないけれど、奇跡的に補助があれば立てるところまで回復。
言語も発語が時折できるのと、意志疎通もなんとかできる。(話してることに意思を示せる)
出血量から見るとほぼ奇跡ですと医師もビックリしたくらい。
そして、リハビリ施設への入所。
一瞬でも立てるところまでいったので、
車椅子介助で帰宅も可能に。
わずかではあったけど、誕生日などのイベントで家に帰って一緒に時間を過ごすこともできました。
私は、母の気持ちが100%理解できるわけはありません。
でも、おそらく…これ以上治療したくない。
家に帰りたいんだろうなと感じています。
かといって…今の私達家族では見ることができない。妹も私も…それぞれの地で生活がある。
弟も働いていて、入院費生活費稼ぐので精一杯。
父も80代。
たまたま元気でいてくれるけど、それこそ無理をさせられない。
私達の都合で母の治療方針を決める重さに耐えられず…私は母方の叔母1(妹)に電話しました。
話をきいてくれ、介護の経験がある叔母1に。
母の立場を語ってくれました。
なにもしたくないって。
でもね、子どもの立場は違うよと…
息子も精一杯のことをして、生きててほしいとよく言ってる。
本当はこんな葛藤があったんです。
母が食べられるなら、胃ろういれたくない。
でも…毎日介護しにいくのは難しい。
母の選択を私達が決めていいのか…
本当は、母本人の意思を尊重するべきではないのか…
そして…この日は私のオンライン講座の日。
あり方で始めるとしたら、この話をすることだったんだけど…重すぎると考えて抜かしてしまいました。
本当は泣いてた私で、葛藤してる私でよかったのにね。なかったことにしようとしてた。
講座時間終わったあと、
叔母2から電話きてたけど出られなかったんです。
結構病気のことを話したりしたときに、
もっとこうしなきゃとか頑張らなきゃ、頑張らせなきゃと言ってた叔母2。
昨日…再度かかってきて伝えてくれました。
「ともちゃん達、本当よく頑張って来てる。
ともちゃん達が悩んでした選択はどれも正しいからね。なにかあったら電話してね。
無理しないのよ。」
そういわれました。
私が私の心の声で、叔母2に言われた当初は
「頑張らなきゃ」と思ったんだと思います。
その心の声がたまたま叔母2が表しただけ。
叔母2の愛情にも触れて、
そのあと講師仲間と話したり…
よかよか学院のおしゃべり部のミーティングに出たりした私でした。
とりあえず…ごみだしに行こう。
朝からこんな暗い話…
でも、書こうと思った自分なので書いてみました。