こんにちは(^-^)v
本当は、7月にアップしようと思ってた
記事です。→次男君の誕生月(^^;
ひとりひとり、違った育児があり…
次男君との間はたくさん悩みました。
受け止めようとしても、受け止めきれないことも多々…。
そんな次男君も…今では中学生。
自閉症スペクトラム障害…
私の場合は、診断が降りて…
初めて彼の苦しみを理解できました。
そして…
私の育て方のせいだ、頑張らなきゃと
自分を責めつづけた私を解放してあげられました。
そんな私の育児を書いていきたいと思います。
次男君からのLOVE Letter
~①出産~
次男君がお腹にいるのが、わかった頃…
亡くなった命が帰ってきてくれた…
そう感じてました。
→長男君が2歳の時に、流産。
今回も助産院がいいなぁ…
川崎市の助産院に決定。
そこは…家族入院ができるのです。
洋服なども洗濯してくれる…
食事にもこだわりがあって、
長男君を別棟の保育で預けることができる施設。
きっと心地よく出産できる…
そう思いました。
妊娠確定を受けたのは、近くの総合病院。
移動するときに、若干もめまくり(^^;
検査結果など渡してもらえなくて、
助産院指定の病院で全ての検査をやり直し(^^;
そこまでは…順調でした。
ところが…元旦那さんのリストラが決定。
社宅は9月に出なければ行けない状態。
母が糖尿病昏睡を起こし、緊急入院。
命はとりとめましたが、
今度は急に歩けなくなり、再入院。
ベッドから一切…動くことができません。
母は「死にたい」と。
私の心はめちゃくちゃ(;_;)
落ち込んでる元旦那。
長男君の育児、妊娠、
母乳110番
(当時代表→もちろんサポートしてもらってた)
家探し、実家と病院との往復の日々。
元旦那さん、長男君、母の前では、
せいいっぱい明るくいます。
でも…内心はボロボロでした。
義理のご両親に話しても…
大変だけど頑張ってと一言。
私は…とうとう耐えきれなくなり、
助産院の院長先生に事情を全て話しました。
話してるうちに…
涙がとまらない状態に。
奥の部屋で、ゆっくり話しましょうと
院長先生。
院長先生の言葉…
まだ覚えています。
「産みなさい。
出産費用はこの子の出世払いでいいから。
あなたはここでたくさん泣いていきなさい。旦那さんも辛いのよ」と一言。
ありがたくて…
ありがたくて…
ありがたくて…
さらに涙が止まらなくなったのは…
言うまでもありません。
時はすぎ…
38週6日
なんとなく下の方がスースーする感覚はあるものの、まだまだと言われて帰宅。
なんとなく…
長男君と稲田堤のモスバーガーに寄り、
最後の外食になりそうと予感。
社宅近くに公園があり、
長男君も遊びたがる。
ゆっくり二人でいられるの最後かも…とのんびり遊ぶ。
夜になり、テレビを見ていたら…
だんだん生理痛のような痛みが…
急いで連絡したけれど、間隔計ってなくて
様子を見てくださいと言われる。
そうこうしてたら「パチン」と言って
おしっこみたいなのが…
破水~
もう一度連絡、すぐにきてくださいとの事。
元旦那さんに車を出してもらい、
長男君ものせて助産院へ。
ところが…こんな時に
初心者マークの車がゆっくり走ってる。
ここは追い越し禁止の場所…
追い越せない…
そうこうしてるうちに、
痛みが強くなり…
頭が出てきた。
「助産院つくまで出ないで~」
叫んだものの…
もう…腹をくくるしかない。
必死に腹式呼吸で痛みを逃し、
マンガ「助産院においでよ」
で読んだ知識を活用して…頭を軽く押さえるだけを意識。
7月10日 a.m.1:08
スルッと次男君誕生。
たまたま洗い立ての毛布があり、
すぐくるまなければならないこと思い出し
くるむ。これもなんかの知識。
すぐに授乳。
飲んでるけど、あまりにも静か。
少し暗めの中で生まれてきた子は泣かないこともあるとわかってはいた。
不安になり、思わずほっぺをツンツン。
フギャの声で安心(^^;
→ごめん、次男君(^^;
助産院につき、すぐにみてもらう。
胎盤が出きってないため、
お腹を押してもらい、出してもらう。
へその緒を元旦那さんがチョキン。
私と長男君、次男君はそのまま入院。
元旦那さんは、
洗剤を借りて車のシートを洗いました。
出産日の写真
次男君は…私達を助けてくれました。
車中で産まれたことで、かなりの便宜が
図られたのです。
家族でゆったりといられる時間でした。
長男君は産後、昼間は保育利用。
夕食はみんなで食べられたりと…
穏やかな時間でした。