こんにちは。
ゆるゆるシンママセラピスト ともみです。
連休が終わりましたね。
ほぼ数日、おうちでゴロゴロを楽しんでました。
昨日は姫ちゃんと公園に行きましたよ
~(^-^)/
長男君からのLove Letterー③
~保育園、小学校 の不登校~
様々な事情があり、川崎から座間へ引っ越してきた私達。
(→この辺は次男君編で書きますね~)
アトピー性皮膚炎だった長男君。
食や自然育児にこだわっている保育園に入園しました。
次男君も10ヶ月で入園。
私もパートで働き始めました。
この頃はお掃除のおばさんで(笑)
その後、ヘルパー2級を取得。
最初は在宅ヘルパーとして、その後老人介護施設、派遣ヘルパーなどをしてました。
そして、小学校入学。
この頃から私は、派遣ヘルパーとして、週4日パートで町田市の特別養護老人介護施設で働き始めました。
朝早く出て、夕方遅くに帰る生活。
しかも苦手な車の運転。
いつも疲れてました。
夫婦間でも、いつもけんかばかり。
長男君が止める役。
いつ頃だったかも、覚えていません。
長男君は、いじめにあいはじめました。
どうやら行かなくなったのは、1年の3学期からのよう。
理由は、靴が臭いから…
靴下をはくのが苦手な長男君。
(保育園時代は靴下なしで過ごしてました)
そして、学童でもいじめにあい、
学校に行くのが嫌だと。
担任の先生は、一生懸命。
毎日…家に訪問。
登校時間にうちにきて、
布団をはがしていくことも…
そして、校長先生に呼ばれて、話したこともありました。
私の心は揺れてました。
長男君の気持ちもわかる。
先生の気持ちもわかる。
私がちゃんとしないから、悪いのかな?
板挟み…苦しいよ~。
無理矢理でも連れていくのが、よい母なの?
で、無理矢理連れていってみました。
泣きながらいく長男君。
登校できても、門の前で泣きわめく。
にらみつける目。
学校にいられても、次の日には布団にこもる。
親子関係が崩れかけてると気づいた私。
癒しの環境にも通ってた私。
無理矢理登校はやめました。
先生にも、朝の迎えは辞めていただくようにお願いしました。
また勤務先も市内の派遣、ディケア、そこから本厚木(電話受付)と近場に変え、時間も変えました。
2年生…ごほうびにつられて、登校日も増えます。先生も頑張ります。熱心ゆえに、私はきついときもありました。
3年生…男性教諭、しかも年輩先生。
にあたる。
「とおちゃんみたいにどなるから嫌だ、怖い」ほとんど登校できず。
この頃から不登校サークル「あすなろ」に通いだす。
ここで親子ともども…様々な体験をさせていただきます。
何よりも「学校行けなくても大丈夫。」と伝えてくれる言葉がありがたかった。
長男君は料理づくりや畑の仕事(今はない)、それから
うどん、そば打ち、もちつき、絵はがきなどなどたくさんの体験をしました。
滅多にできない体験だと思います。
また自分のことのように、たくさん共感していただき、想いを話すことができました。
4年生…2年の頃の先生が担任。
この頃は、先生の意図も見えだした長男君。~させられる、誘導しようとわかると、逃げ出す。喘息発作が出た。
父親リストラされる。
そのため、精神的に不安定となり、うちの中で父親が「俺なんか死ねばいい」と包丁を持ち出す日々。
5年…キャンプ前後は、楽しみで登校も増える。父親、単身赴任。リストラされる。
6年…私が緊急入院、姫ちゃん出産。
出産10日前まで、パートで勤務。
無理をしてました。
2学期までは、マイペースに登校。
3学期から元担任の先生の提案で「ことばの教室」で勉強しだす。
それと同時に…卒業式に向けての練習に行きはじめました。
ところが3.11 大地震がおきます。
この日以来、一人で外に出られなくなります。時折いってた叔父(私の弟)との小旅行。横浜の実家までも、一人で行けなくなりました。
常に家族と一緒でないと不安。
私と元旦那さんの仲も、経済的にも精神的にも不安定。 家賃も全額払えない状態。
福島でリストラされ、神奈川では仕事がない、君と家族といられないと再度岐阜県に単身赴任する話が出ました。
義理のご両親を交えて、話し合い。
私は…とてもきつい状態にいました。
元お友達と元旦那さん。
元お友達が元旦那さんが好きだと、姫ちゃん生後3ヶ月の時に告白されたのです。
彼と彼女の雰囲気が違うのは、察していました。 彼も好きなことは気づいてました。
私にも悪かった点はいっぱいあります。
家族から逃げてた自分にも気づきました。
元お友達を助けたい、そう思い、彼女のお話を聴きにでかけたことも多々あります。
やり直したいと思い、また一人で悩むのが苦しくてご両親にお伝えしたのです。
約束もないままの単身赴任は、不安でした。
そんなバタバタな状態で迎えた卒業式。
長男君は出席できました。
卒業式で歌った
いきものがかりの「yell」
長男君の卒業式までのがんばり、それと
私自身の状態…元旦那さんが向こうで頑張れますように。
さよならだけど、あなたがあなたらしくいれますように…
そんな思いがあいまってポロポロ泣いてました。
~不登校から学んだこと~
・長男君は身体をはって、私達夫婦、家族を繋ごうとしていた。とても学校に行ける状態ではなかった。(家庭の問題)
・長男君自身が、自分をみてほしいと訴えてた
→いじめ、いじめられる…
そうすることで、自分の存在を現してた。
・頑張りすぎてた自分にストップをかけてくれた。
→不登校がなければ、フルタイムで働き続けた。サークルや学校に付き添う日を作るため、週4日短時間勤務に切り替えた。
・自分自身が、自分をたくさん責めていた。
→世間一般の常識から外れてる我が家。
ご近所さんから通報あり、民生委員さん訪問があった(;_;)怒鳴り声が聴こえ、虐待でないかと疑われた。
・自分が感じたままに、行動してみること。
→学校に通わせるのが無理なら、登校しなくてもいいという選択肢を加えた。
そして、学校以外の場所で、不登校サークルに通うようになった。
・先生には先生の苦しさがあることも理解した。
・彼(元旦那)を変えることはできないと学んだ
→彼のご両親や実家の母に「ともちゃんがしっかりやってくれ。彼を大人にしてやってくれ」と言われてた。
頑張って、頑張ってみたけど、無理だった。
・どんな私でも両親に愛されてることを私が感じられた。
→入院した時、母に伝えられた一言。
「子どもたちにとっては、母親のあなたが大切なんだから」
「こんなとんでもないことばかりしてる私でもおかあさんにとって大切なの?」と母に聴いた。
「当たり前でしょ、バカね。この子は…
どうして相談しないの」
二人で泣いた。
中学編に続く…