酒呑童子の首を祀っている首塚大明神に詣りました。

木々が鬱そうとして何とも言えない雰囲気の場所です。

京は、魑魅魍魎が跋扈したといわれる土地柄だけあって、色々なスポットがあります。


もんちゃのブログ


由緒
 平安時代初期。(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り、苦心の後 酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが、坂田金時(あの有名な金太郎です)が、証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が 急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられている。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。