よくいく自然食品のお店で、
毎週、無農薬、無化学肥料で育てた野菜が
火曜日と金曜日に農家から直接届けられています。
見た目にも、口にいれたときの食感も香りもめちゃめちゃ野生的です。
でも命に染み入るような感動があります。

正直スーパーで買った野菜がまるで水栽培のもやしのように感じるくらいです。

わたしたちは
毎日、命をいただいて生きているんだなあ、って思うのです。



ハンバーガーに命を感じますか?
チキンフライに命を感じますか?
実にいまの食材はよくカモフラージュされています。
骨のない魚、
臭みのない肉。
カットされた冷凍野菜。
凍った焼きおにぎりまであります。

現実が見えないように
痛みを感じないように
「いたわりのある優しい社会」を目指した結果、
私たちの社会はひょっとしていつのまにか致命的な「感じない」世界になってしまっているのではないのでしょうか。

先般、鳥や豚や牛をトサツして食品にかわってゆく過程を描いた映画が上映されました。
怖いものみたさで映画館にいったひとも多いでしょう。

つらい映像の連続ですが、わたしたちは覆い隠された現実をみるべきだと思うのです。
食品は決してきれい事ではありません。

ホテルのレストランでだされる食事のように、
きれいにデコレーションされればされるほど
私たちは”なにをたべているか”を忘れ、いとも簡単にごみ箱に放り込むことができるのです。
日本の食料自給率は世界で最低でありながら
実に輸入食材の2/3を廃棄しているのだそうです。

わたしの母が昔、
大根の皮をむいたあと、
その皮を細くきってしょうゆと一味唐からしをふって小皿に盛ってくれたのを思い出しました。
ぴりっと辛くてパリパリした食感で、それは初冬を感じる素敵な一品でした。

真のエコとはそれを大事にして廃棄しないことなのではないでしょうか?
ごみをださない、ということではなく
大切にする、ということの逆の発想が、発想の根本の転換がわたしたちには必要なのではないでしょうか。



また
あるヨーロッパのブランドバッグメーカーが日本にも最大規模の直営店をだしました。
ビジネス誌によると年収200万円台の女性と、年収1,000万円超の女性層に顧客層がおおきく分かれるのが
このブランドの特徴なのだそうです。
誰もが手に入れたいと感じ、またお手軽に手にいれられるスーパーブランドなのだそうです。
でもその原材料である皮は多くアジアから輸入されています。
ふわふわした手触りの毛皮は誰もがあこがれる品でしょう。
一方でそのために多くのあまりにも多くの小動物たちが生きたまま皮をはがされ、血だるまになって投げ捨てられています。
勇気のある方はこのコラムの最後のアドレスにアクセスしてみてください。
きっとなにかを発見するでしょう。

西欧の古代宗教観にはユダヤ教が強く影響しています。
聖書の創世記には、神さまの元から追放された人類最初の男と女に
神さまは、動物の命を絶ってつくった毛皮の着物をふたりに与えるシーンが描かれています。
断罪と許し。そこには命が必要だったことが暗示されていました。
毛皮をあたえたのは、これから厳しい自然界で生き抜かなくてはならないふたりへの神さまの許しのしるしだったのでしょう。
そのテーマは、それから数千年のちに、贖罪(しょくざい=犯した罪を償うこと)を人類最大の革命としてキリストの死をもって完成した人類の救済に引き継がれてゆくのです。命が許しを与え、命が命を与えてゆく、という聖書に流れる一貫したテーマがそこに引き継がれています。


ある団体のように、毛皮や肉をたべることへの痛烈な批判をするつもりはありません。
現実にコンソメスープやポテトチップ、スーパーやデパートに並ぶどの食材をとっても肉食を排除できない時代に私たちは生きています。
狂牛病の恐怖は現在の食品の現状を浮き彫りにしたでしょう。汚染米の流通実態は食品という底なし沼をみせてくれたでしょう。
現在の農業や畜産が量産化の道を歩んできた弊害はホルモン異常や抗生剤のきかない不治の病を生む土壌を作り上げてきました。
それはそもそも私たちが望んで推し進めてきたことの結果です。
肉食の時代は終わらなければいけないのかもしれません。量産化の時代は終わらなければならないのかもしれません。
私たちはすべての生きているものたちとの共存のなかでその命を感じ、大切に想い、自分の命に引き継がれてゆくことへの感謝につながるのであれば食べ物を育てるという行為それはとっても尊いことだと思うのです。

以前、中東派遣の若い兵士が、谷そこへ小動物を放り投げるシーンがネット上で公開されて世界中から非難を浴びました。あなたも目を覆って胸を痛めたでしょう。
でも、あなたの皮のバッグが、あなたのトイレカバーが、あなたのキーホルダーが、あなたのサンダルが
かつて可愛いらしい小さな命であったことには、あなたはとても鈍感です。
私たちはあまりに無知です。

これは私にとっての宗教観かもしれませんが
痛みを知ること、
そして命に引き継がれてゆくことへの感謝があるなら、
きっと
食事を前にして「(命を)いただきます。」という感謝の言葉にかわるのだと思います。











<毛皮の作成方法について、また食肉の加工工程についての紹介サイト。>
(下記のサイトはおもに世界動物愛護協会の作成した映像を紹介しています。ただし精神的に不安定な方や残酷な映像が苦手な方にはお奨めしません。また未成年の方の鑑賞はかならず保護者の許可を得てください。この映像の鑑賞について当ブログ管理人は一切の責任を持ちかねますので、各自の個人責任において判断のうえ鑑賞ください。)
下記はPCでご覧ください。サイトの安全性については保証いたしかねますので、必要なセキュリティソフトを装備のうえ参照ください。このサイトは私にとっては「命」ということを考えるうえで、大変有効なサイトでした。
それはとてつもない衝撃でした。数日トラウマが残り、精神的な苦痛をひきずりました。それでも繰り返しですが、私たちは手にした食肉がどのようにつくられたか、どんな問題を生み出しているのか知る必要が、そして責任があるのだと思います。
もちろん観ないでこのままブログを閉じる、という選択もあなたの自由です。それも大切なことです。

参考URL http://saisyoku.com/slaughter.htm ​