昨日、知り合いの食口の方と『エクソダス~神と王~』というモーセの出エジプトを扱った映画を見てきました。
日本では1月30日公開予定の映画ではありますが、私が住んでいる国では既に公開中です。
その劇中で、400年以上も奴隷であったヘブライ(ユダヤ)人を引き連れてカナンへ向かい出エジプトするという、あまりに大きな責任に対して、なかなか決意できないモーセを神様が決意させていくやりとりが非常に生々しく、そしてある意味人間臭く描かれています。十災禍などは非常に壮大な映像美で圧倒されました(監督は『グラディエーター』の監督です)。
扱っているテーマがテーマだけに、映画としての評価は賛否両論あるようですが、『生きて歴史を導いてこられた神様』について改めて考えさせられる映画でした。
畏れるべきは人でも王でもなく、神である
それを強く感じさせられる映画でした。
モーセのように、どれだけ言い訳を垂れ、なんども葛藤したとしても、今一度、汝自身の神を知り、神が自らに与えられた使命を自覚して、神様と共に約束された地へと強く雄々しく向かっていけ!と言われているようにも感じました。
モーセを導いた私は、今もあなたと共に生きているぞ!
神様がそう言いたいようにも感じました。
モーセのようにエジプトにおいて既に位置ある立場から、すべてを捨てて奴隷であったヘブライ(ユダヤ)人を導いて出エジプトするというのは、神様を知らなければできるはずもないことだと思います。不可能中の不可能とも言えることでした。
劇中ではモーセは神様に何度も抵抗しつつも、結局は押し出されるようにして決意していきます(みなさん出エジプト記をご存じだと思いますのでネタばれにはなりませんよね)。
今、こういう映画が出たんだなぁと考えさせられると共に自分の中でどうしてもリンクしてしまうのは、今の日本の教会のことでした。これまでの日本食口の方々の精誠を考えると、崩壊へとカウントダウンしているような教会組織の中にも神様は今この瞬間でさえ、何人かの摂理的キーパーソンに密かに働きかけていらっしゃるのではないだろうかと思っています。
たとえ主体的に決意できず、神様から半強制的に押し出されるようであっても、結果的に神様が願う道を共に行こうとするリーダーが現れるようにと思っています。
きっと日本でそれを待ち望んでいる食口の方々も相当数いると思います。
そして、そのような食口の方々の存在が新たな摂理的進展の起爆剤になるであろうと、密かに感じています。