過去の話⑮ | 誰にも言えず綴る

誰にも言えず綴る

余命宣告された夫は2023年8月、逝ってしまいました。これからどう生きていこうか…。

転院の日は
災害級の大雨だった。

私と次男は直接名古屋医療センターへ。
夫はがんセンターから救急車で搬送された。

まずは目の治療と喉や皮膚の治療を重点的にがんばっていきましょう。

何が起きているのかさっぱりわからない私たち家族は、
お願いしますとただただ頭を下げた。

こちらの病院では
手厚く治療をしていただき、
徐々に症状も治まってきて、
ぼんやりだが視力も出てきた。

ここまで回復するのに3週間。

面会制限も緩く、

お兄さんも来てくれて、

何年かぶりに兄弟で話すこともできた。

何が起きているのかわからなかった症状に診断名がついた。

スティーブンジョンソン症候群…。

薬害だ。

がんセンターは夫の入院を決めた時点でこの病気だと予測していたのでは❓と、
冷静に振り返ると思わざるを得ない。

しかしこれ以降も
がんセンターからはこの病名は一切出てきていない。

名古屋医療センターでは
呼吸器内科にもかかっていたのだが、
肺に穴が空いてその穴にカビがはえていると言われたらしい。

これもまた
聞いたこともない症状なので驚き心配になる。

名古屋医療センター側は
がんセンターからお願いされた
目の治療、

つまるところスティーブンジョンソン症候群の治療が完了になったので、

呼吸器の症状はがんセンターで治療してもらってと言う。

6月下旬、

夫は退院しその足でがんセンターに再入院となった。

これからいったい何の治療をするのか❓

説明がないのでさっぱりわからない。


夫からのLINEでは

目の調子はどうか❓

そればかり聞いてきて

肝心の肺については何ら進展はなかった。


そうこうしてる内に

肺に生えたカビの治療が始まった。

何が投薬されていたのか

さっぱりわからない。


こんな感じで

終わりのない入院生活を続けていたところで

私たちは2度目の余命宣告を受けた。