こんにちは✴︎


久しぶりに書いております。


なんでかわからないのですが、


マヤ暦来まくってます笑 

止まりません。


そして、

自分がスピリチュアルを仕事にしてみたいという本音を掴みつつあり、

許してあげつつあります。


友達とスピリチュアルを笑いのネタにしたり、

変な人多いよねと思ったり、

集客集客と焦るのも嫌だし…



私は作家なんだとカッコつけて、

作品作りにエネルギーを注いでなんぼだと思って、お金の為にSNS集客に嫌悪感があるのは事実です。

でも『やらなきゃな。。お客さん来ないしな…』と思って、焦り、嫌な気分になり、イライラ、出来てない自分にダメ出し。



いつもこの繰り返しでした。



でも、

好きなアーティストで、スピリチュアルに傾倒しながら、作品作ってる人いるじゃん😲


✴︎Alejandro Jodorowsky

 (アレハンドロ・ホドロフスキー 映画監督)

 


大好きな監督。

作品は訳わかんないけど、とにかく惹かれる。

訳もわからず尊敬してやまない。けど、作品そんなに観れない笑

でも『DUNE』はあらゆる人に見てほしい。

宇宙理論や引き寄せを理解しているひとには、

すごく刺さるんじゃないかな。

ホドロフスキー監督自体が宇宙のエネルギーを使いこなしていると思う。

半端ない引き寄せと、宇宙の采配を受けている。

タロット研究家で、本も出している。

カフェでずっとリーディングをしていた期間があるらしい。いいな、それ、、


✴︎Salvador Dalí

  (サルバドール・ダリ画家)



一時期のめり込んだ笑

ちょっと悪趣味なんだけど、

私の趣味がどうしたってちょっと悪趣味なんだもの。仕方ない!もう認めよう。。

ダリもタロットカード作ってて、私の宝物。

パリのダリ美術館で買ったときは興奮して、嬉しくて、手汗ものでした。



沢山沢山好きなアーティストいるけど、

ちょっとスピリチュアル入っていて(ご本人たちは明晰に分析したり、研究してるから大真面目ですが)

怪しい人が今でも気になって、結果ファンになる私です。




なにをスピリチュアルが怪しいだの、言っているのかしら。。



私も彼らみたいになればいい。



大真面目にスピリチュアル(と言われる所、マヤ暦とかタロットとかはもはやスピリチュアルと言ったら変ですよね、ひとつの世界であって、学問ですから)

を研究しながら、

作品をつくり、

観る人びとや出会う人びとの、

意識を上げるきっかけを作れれば、

すごく嬉しいかもです。



✴︎✴︎✴︎




とにかくいまはマヤ暦を勉強して、落とし込んで、

色んな人をリーディングしてみたい。

沢山本音を認めて、自分を愛することができるようなセッションができたら、

最高です。。。( ;  ; )






長くなりましたが、

ここまで読んでいただけた方はいらっしゃったのでしょうか😂

もしいらっしゃったら、

本当にありがとうございます✴︎




そしてお知らせ😂



9月13日の、Kin118の日。

白い鏡が2つ並ぶこの日を始まりに、

マヤ暦個人セッションを受けて頂けるモニターの方を募集致します。



平日の11時〜15時のあいだで、

1時間¥2200 (9/25までのモニター価格)

個人鑑定表(データのみ)付きです。



𓁘マヤ暦はよく知らないけど、ちょっと気になる

𓁘自分の事を深く知りたい

𓁘自分の才能を活かして生きたい

𓁘何をして生きていけば良いかイマイチ分からない

𓁘宇宙のサポートが欲しい

𓁘宇宙理論が好き

𓁘宇宙の流れに乗りたい

𓁘毎日のエネルギーを知りたい

𓁘アートの話がしたい🌝





このような方はおすすめです。


マヤ暦は天文学に基づき作られた暦で、

本当に宇宙そのものなんですね。

人によって鑑定結果が変わるものではなく、

あなたの"刻印"がズバリ解ります。


自分が「生まれてきた目的」と「役割」、

そして「天性の才能」を知ることができるので、
迷いが減り、前進できるようになります。


古代から受け継がれているマヤの叡智はすごいです‼︎



気になっていた方は、

ぜひぜひ、受けてみて下さいませ。


きっと、そのままの自分でいいんだと、

安心すると思います。





さて、

ようやく今日のマヤ暦🌝


8/16   kin90

青い嵐の13日間の12日目。

音響12の白い犬です。

 


🧚🏼‍♀️白い犬(太陽の紋章・顕在意識)


【キーワード】

家族愛、忠実さ、誠実さ

愛の学び、受け取る愛、捧げる愛、正直さ。


正直さゆえに、言わなくて良いことも言ってしまいます。

ときに厳しくなりがちですが、それも優しさゆえなのです。

信じているものに対してとても誠実です。



🧝‍♀️ 青い嵐(ウエイブスペル・潜在意識)


【キーワード】

人を信頼し、ゆだねる

良き理解者を持つ

変化を怖れず、受け入れる


青い嵐も終盤です。

どのような変化も受け入れることで、結果的に宇宙の後押しをもらえます。

恐れず委ねましょう。

直感を信じて、心地よくないものを手放したり、距離を取ったり、

それは少し怖いかもしれませんが、

新しいものが入ってくるので大丈夫👌

楽しみに待ちましょう。



🐚音12


【キーワード】

収束させる、複合的安定、共有


家族の話の聞き役にまわったり、相談にのってあげたりすると、自然と解決に向かったり、絆がより深くなりそうです。



🌝

今日は家族に向けて愛と意識を向けるエネルギーが降りていますね。

いつも伝えていなかった本音を、言葉をちきんと選んで(ここ大事☝️)伝えたら、今まで溜めてきた感情が浄化され、より家族の絆が深まるかもしれません。

家族が居なかったり、物理的に会えない話せない〜というひとは、自分自身の本音を優しく聞いてあげたりも良いです🕊

自分を愛でてあげてくださいね♡

今日、ZOOMでカウンセリングを受けました。

いわゆる"毒親"育ちの悩みを聞いて頂ける方を探して、話を聞いてもらったのですが、

それがまた予想外なところで私は感情が昂って、
思わず泣いてしまったのですが、、



過去の出来事も思い出せる限りでは、
私は母との関係に、寂しさというか、
"辛さ"を植え付けられ、
いわゆるアダルトチルドレンになったとおもっていたんです。

でも、それもそうなんだけど、
 

どうやら私は父との関係にも、
"寂しさ"、"孤独感"、"愛情の欠乏感"を持っていたみたいなのです…。

 
これにはびっくりしました。
  
ここに話が及んだとき、
訳の分からない戸惑いと、
そこに関して、私のリアルな感情が抜け落ちていたことに初めて気付きました。
要は、深く考えたことがなかった(記憶に蓋をしていた)という事なのです。


どうしてかというと、
父は、私が17歳の時に他界しています。
膵臓癌で、病気が判明してから半年ほどで亡くなっています。

病気が分かる2年半位まえに、父の浮気がわかって、母との不仲が始まりました。
私が中学2年の時でした。
私の中学時代は地味に、ほんとに地味〜に辛い事が沢山あり、
今思うと、
感情に蓋をしたのはあの頃だったのかな、
と思います。


小学1年生の頃から好きだった男の子に、冷たく振られ、
その男の子は、私の親友に告白をしたり。

友人には裏切られ、イジメの(ハブ程度)対象になったり。

矯正器具をつけ始めたのもこの頃で、
とにかく痛いし、
顔はより一層ブス度が増して自信も無くなるし。

その頃(父の浮気が判明した頃)、私の母方の祖父が癌になり、入院した為、
母は実家に泊まり込み、家をしばらく留守にしていて、
その頃、父と2人暮らしで、とても寂しかったり。


記憶の景色では、
薄暗い夕方に、電気の付いていない自分の部屋で、
1人矯正器具の炎症に耐えて泣いていたのを覚えています。

 
辛かったなーーーー
父に言えなかったんだよね、、、

なんか、自分の問題を言える雰囲気じゃなかった。
家族が大変な時に。



でも、その時に、
父に助けて欲しかったんだよ、きっと。

父のことは好きだった。
浮気したのはなんとなく気付いてたけど、

怒っている母のほうがわたしは怖くて、

父がどんなに家族を裏切っていたのか考える余地がなかった。

あんなに家族想いで、
車で色んなところに連れて行ってもらって、
面白いはなしを沢山してくれた父の事が、

わたしは大好きだった。


だけど、とても頼れない人なんだってことも、
わたしは無意識に気づいていたのかもしれない。

だけど、
母がなんとなく怖かったわたしは、
父の事を嫌うとか、そういうことをしちゃったら、
私の安心できる場所がなくなってしまうという事に、なんとなく気づいていたのかもしれない。



あの頃の私の心情を想像すると、

濃い霧のなかに1人たっていて、
不安が私の周りを取り囲んで、
動けないんだけど、
なにか頼れるものを見つけようとしていた。

けど、なにもないかもしれないと、
薄々気付いてしまった恐怖から逃げるために、
よく寝ていた記憶がある。

窓から山の木々の深緑と、空を眺めていたのも景色として記憶にある。

ひとりの時間が多かった。

仕方ないと思っていた。

  

大人になって、客観的に見てみると、
父はもっと私のケアができたはずだ。

私ともっと話をしてくれてもよかったはずだ。


逃げていた部分があったのかな。



その後、高校受験の推薦に失敗し、
とにかく「頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ、、」
と、無価値観に囚われ始めて、
自信なんてないまま、
私は息を止めて走るんだ位に、生きる事に必死になっていた気がする。

とにかく自信がなかった。
同じ年の友達ですら、強くて大きい存在だった。

自分が小さくて、足らない存在だと思っていた。


その頃父は、浮気したツケのようなものを母に払わされていて、存在を消して同居していた。
「居場所がない」と言っていた。

なぜか、私は父が惨めで可哀想だと思っていた。
憎んでもいいのに。


その矢先に癌が見つかり、
すぐ父は去って行った。

私のなかで、優しくて、面白くて、可哀想な父のまま。




私の寂しさや、頼れなかった苦しさは、
行き場のないまま、
まだ私の中に存在していた。
それが私の抱えていた不安の核なのかな。
未だにそれに似た、
"人に頼れない現実"を創り出す張本人なのかな。


ほんとに、なんでってくらい、
私の世界には助っ人みたいな人が居ない。
子育ても、介護も、
他の人には1人くらいこの人に助けられたっていう存在がいるのに、
何でわたしには居ないんだろうって思ってた。
頼ってお願いしても、全然助けてくれない。
夫も、兄も。


全部、父との記憶のなかの、
私の昇華していない感情が原因なのだとしたら、

これから少しは、
創り出される現実が変わるのかなあ。



私の中の、
小さな私の気持ち。


とりあえず、聞いてあげられてよかった。


ごめんね。
今まで一人で頑張らせて。

これからは一緒に歩こう。


辛い時も、
寂しい時も、
疲れて寝たい時も、


隣にいるから。



なんでも話していいよ。

なんでも聞くよ。


私が1番の理解者になるよ。 


これからはひとりじゃないよ。


今回の母との関係崩壊があって、


自分の罪悪感を嫌というほど感じまくって、


「一体どれだけ出てくんだ罪悪感?!」


って位、私の中に顔を出すもんだから、


気分が最悪なのに、とことん罪悪感の全体像を把握できている。



今までもそこそこ、感じなくてもいい時にぴょこっと顔を出していた罪悪感。

健全に育った人なら感じないであろうシーンに出てくる罪悪感。


いろんなブロック解除(自分でするのも含め)で手放してきたけども、


もっと奥の奥にそれを作ったラスボスみたいな、

根元みたいなものずっといた。


なんとなく分かっていたけど、


やっぱりそれは母だった。





今朝は起きたときから気分が悪くて、

新聞を届けに母のところに行き、シャッターを開け、ブラインドをあげてたら、

ああ、母は一人でここで過ごしているんだな、、、と、

少しまたかわいそうになったのと同時に、私のしている事や、罪悪感、申し訳なさ感が来た。


どうしたらいいんだろう、、

でも、

やっぱり、

どうしようもない、

何より拒否されてんだし、

私に対して怒りがたっぷりだし、

そして、

やっぱり、

怒られたら怖いと思う以上に、


「もうあんな自己否定された時の気分の悪さを感じたくない。」


「あの、気分の悪さ、あの最悪の気分の悪さ」


あれをもうこれ以上感じたくない。



母を傷つけたいとか、主張したいとか、介護やりたくない、とかではなく、


「あの否定された自分をもう感じたくない。」


そこかも知れない。



私にとって一番と言っても過言ではない母という存在に、


自分を否定され、ダメ出しをされ、馬鹿にされる。


それ以上に大きなダメージはない。私にとって。




私は、人生で初めて、そのダメージから、私を守ってあげるんだ。




守ってあげる。




それは私にしかできないんだ。




子供を守りたい気持ちより、

母の日常を安全にサポートしてあげたい気持ちより、




私を存在を守ってあげたい気持ちを一番に持とう。


久しぶりに文章を書きます。

 

最近とても沢山の出来事があって、酷く疲弊しています。

 

「もう疲れちゃった、、どうでもいい、、。」と初めて心と体から出たかもしれない。

今までは台詞のようにそんなことを言っていたかも知れないけど。

 

なんか自分のキャパシティーを超えてしまった。

 

お腹もよく張ってしまうし。(妊娠7ヶ月)

 

一人目に妊娠した時は、実家暮らしではなかったし、母から自立して

仕事もこなしていたし、自分の生活に根を下ろしていた気がする。

 

それなりに、それなりにだけど満足していた。

夫に不満も、ねっからの不安症もあったけど。

 

だから、こんなに身体と精神の危機を本能的に感じなかった。

ある程度お腹が張っていても、まあまだ大丈夫だろう、横になれば、と思っていた。

 

 

今回、今までの人生における闇?支配を目の当たりにした。

そして、もうこれ以上やめよう、違う世界に行きたい、と心から湧き出した。

そして、とてもとても恐怖を感じる、違う世界に行くという事に。

 

 

 

 

それは、「母」からの支配。

 

 

 

 

私たちは仲が良かった、と思う。

海外旅行は二人でよく行った。もちろんお金はある程度母持ちだった。

芸術の話はよくした。

ピカソ、マティス、ダリなどの大御所が好きなのも私達の共通点だ。

二人でヨーロッパの主要美術館に行ったのは、とてもいい思い出だ。

母とじゃないとこんな色々いけなかったし、素敵な景色もみてきた。

 

 

でも、いつもなんだか息苦しかった。

 

それは大抵が食事の時。

 

私は本当に好きなものを注文していなかった。言えなかったのだ。

なぜなら、母の趣味に近いものを好きと言わないと馬鹿にされるからだ。

無意識に、小さな恐怖と、

胸の奥に小さな私を押しくるめていた。

 

 

 

海外のマクドナルドのハンバーガーが食べてみたい。

パリのスタバに入ってみたい。

卵サンドが食べたい。

お洒落なブラッスリーで肉汁たっぷりのステーキを食べてみたい。あとポテトも。牡蠣なんかじゃなく。

鮭は紅鮭よりも、サーモンのレモンのかかっているソテーの方が好き。

本当は卵かけご飯にサバ缶でも私は嬉しい。

自分の作った少し硬いけど、安心して食べれるパンが好き。それにココナッツバターが最高なんだ。

 

 

 

こんな、いわゆる『自分の趣味』というものが、母の前でいうにはとてもとても勇気のいるものだったのだ。

 

 

 

なんでか、いつからそうなっていたのかもう分からない。

 

もしかしたらほんとに小さい頃からそうだったかも知れない。

 

 

 

 

そして、その小さな『息苦しさ』=『我慢』は、ちりつもで、『母への怒り』に変化していたのだ。

 

正直、母は悪くなかったと思う。

 

今回、その私が勝手に作りだした「母への怒り』がきっかけで、

 

私と母の関係はほぼ崩壊した。

 

 

 

 

一年弱に渡って母の介護をしてきた。

 

母は今65歳で、難病を患っている。

手足は次第に使えなくなっているが、頭だけははっきりして明晰だ。

 

その分苛立ちや、拘りや、意思は益々強くなってきている。

 

私はそんな母の食事を担当していたが、それはそれはストレスや負担の大きな仕事だった。

 

母はそんな私を全く理解できず、私の能力不足だと責めてきたし、馬鹿にしてきた。

 

度重なるそれに耐えかねて、私は母の居住している家の二階を飛び出して、逃げた。

 

それが二週間前くらい。

 

 

それ以降2回くらいしか顔を見ていない。

 

 

ケアマネさんに相談し、理由を説明し、今介護をほぼやっていない。

 

 

 

こんな無責任で冷酷な自分にとにかく困惑している。

 

母は車椅子で、コップすら運べない。

レンジでチンして運ぶのがやっとだ。

なのに私は放っといて、気楽になった毎日に解放感すら感じている。

 

 

毎日、罪悪感との戦いで、

地域の福祉センターにも相談をしたり、

メールで出来るカウンセリングも現在進行中だ。

 

 

いったい私はどうしてししまったのだろう?

 

母に対する恐怖が膨らみすぎて、

もう顔を見れない。

どんな恐ろしい言葉をかけられるか、否定されるか、罪悪感を持たせられるか、

恐ろしすぎて動けない。

 

 

今までの無意識の恐怖が、今何百倍にも膨らんで、

私にその恐怖を手放さないと死ぬぞ!と言われている感じだ。

 

私の中の母像と、それにまつわる私の抑圧した感情が、

ようやく日の目を浴びて、存在感を露わにしている。

 

 

 

 

私、こんなに我慢してたのか、、、。

 

 

我慢しているのなんとなく気づいていたけど、

(母といると息苦しいから、そして母と離れると安心するから)

この我慢がない状態って、どんな感じよ?

一体どれだけ、心が自由なんだ?

 

逆に怖い、、、、、

 

 

 

 

 

好きに自分で一つ一つ決めていくって、それって、普通のことだ。

それって、自由だ。

37歳だったら、普通のことだ。

私、そんなことも放棄してたのか?

 

そりゃ息苦しいし、

決定権がないのが普通になっていたら、

自分以外にその権利があるって、そりゃ不安だよ。

いつも誰かの決定を待って、待機の状態だよ。

 

自由なんてどうやっても感じれない。

 

 

最近瞑想で、自由を頭の中だけ感じ切るっていうのやっていたんだけど、

そんだけ私、自由になりたかったんだ。

 

本能的に自由を求めていたんだ。

精神と肉体から求めて湧き上がっていたんだ。

 

 

それが具現化した。

 

 

私は今具現化した意識と面と向かって立っている。

 

 

さあ、どうする?

私、これからどう出る?

 

 

 

 

 

私はいわゆるアダルトチルドレンだと思っているし、

普通家庭に育った人の考える意識的な自由は持ち合わせていないから、

この先介護をどうしていけるのか、母とどこまで離れられるのか、

正直、思い通りにことが運ぶ事を信じ切れていない。

そこまで自由が許されるのか、不安でいっぱいだ。

 

 

それが毒親育ちの特徴らしいけど。

 

 

ケアマネさんや、カウンセラーに相談しつつ、この先の舵取りをしていきたい。

 

 

果たして私は自由を意識的に掴んで、人生を力強く歩いていけるのかな。

 

 

それって、みんながしていることなんだろうか?

 

私はそのスタートラインにも立っていなかったのかな?

 

 

 

支配されていた事に、ようやく気づけた私。

 

ほんとに、ほんとに、ほんとに、気づいていなかった。

 

金属バットでガーン!!!って殴られて、今地面に突っ伏して、

「そうだったのか、、、、!」って、土を掴んで、

地面を血眼で見つめている感じだ。

 

 

 

 

これから私、新しい世界を見られるのかな。

 

 

 

 

見たいな、、、、。

 

 

 

見てみたいな、、、、。