所謂「老害」と言われる世代の扱いが、面倒な今日この頃。50代超氷河期突入の自分からすると、ちょい上バブル絶頂時代を生きて、就活もゆるゆる恵まれた世代に思える。甘やかされたと言われがちな「ゆとり世代」や今時の新人類「Z世代」が経験し得なかった、緩い美味しい汁を吸ってきながら、なお現役にしがみつくやっかいな世代である。


大学生から聞いたリアルな話を例えとしてあげてみる。

既婚子無し60歳男性。ある大学教授の話。

「ひとりごと」と称して、ブログを書いている。「ひとりごと」とはいえ、きちんと名前を明かし「〇〇先生の〜」というタイトルでの発信スタイル。学生が読むことを承知で、そこを目掛けての内容である。

その中で、今時のZ世代は行間や空気が読めないと嘆く。また、論文を記述する際の基本的スキルや知識が酷すぎる旨を綴っている。

それはそれで良い。実際そうなのだろう。

だが私はその批判内容より、文の行間から溢れ出る「メンヘラ&構って気質」が気分悪くモヤモヤが止まらなかった。いかにもプライドの高いオレオレ感が満載で、自分の父や職場の老害を彷彿させた。

①まずは、ブログのタイトル。

〇〇先生のひとりごと」でこの教授の面倒臭さがピンとくる。自分に先生と付ける所。ここが既に気持ち悪い。性格が透けて見えてる。

②更に気持ち悪い点は、文中に「〜してあげた」という言葉が何度も出てくること。

私は、この「〜してあげた」という言い方が大嫌いである。私の個人的な印象だが、圧倒的に男性が使いがち。普通に「〜した」で良いではないか。

殊に酷いのが・・・、【学生へのアドバイスは、大学の業務と関係ないボランティアなのに、自分はしてあげている】という書き方をしている点。

要するに、自分はこれだけ一生懸命してあげているのに、感謝の気持ちがない・・・という嘆きである。

ボランティアと言いつつ「してあげている」という感覚は、普通にあかんやろ?人として格好が悪すぎる。愚痴レベルを大々的に公開するのは反則。飲みの席で友人や妻相手に慰めて貰うべきだ。

③ そして最も辟易する点は、自分の意にそぐわない学生に対し、SNSを使って名指して怒りを露わにしている点だ。

イニシャルで記載されたエピソードは、学生間では容易に個人を特定出来、直接的にも間接的にも大多数に自分の怒りが伝わる仕組みを取っている。これは指導者としてもSNSの使い方を誤っていると私は感じる。


役職として大学教授の肩書きがあっても、人間的に優れているわけではない。ここを謙虚に自覚して欲しい。社会的地位を抜きにすると「ただの60歳オッサン」である。私からしたら、家で見ている不甲斐ない夫と何ら区別はなく、特に周囲に気遣いするべく空気を読めているとは思えない。



Z世代の不十分さへの嘆きについても、2人の大学生を持つ親として物申したい。

【一生懸命、20数年育ててきました。私にとっては渾身込めた我が子ですが、子育ては思い通りにいかなかったことばかりです。ですから、私は世間一般のZ世代へも、そこそこの寛容さを持ち合わせています。そして日々自分の子育てを自問自答しています。

教授、あなたがもし子育てをしたとして、誇れるほどの出来栄えになると確信をお持ちでしょうか?】


そもそも昭和世代、Z世代と軽く総称するべきではない。

いつの時代も「今時の若者」は批判の対象になるし、昭和時代にもけしからん空気の読めない人間は当たり前に存在していた。要は世代ではない。


今のZ世代は行間を読まない・・・と教授が呟けば、学生は否応無しにそれに反応せざるを得ない。

結局対処するの?と質問してみた。

「学生の為のアドバイスとは言ってるけれど、この事例はただ構ってもらえなくて寂しかっただけなんちゃう?という結論に至った。今回の難しい点は、「寂しかったから構って」というメッセージに気づかないふりをし、教授の面子を保つ為に論点をずらさなければならないことやねん。その上でいかにも論理的な問題かのようにご機嫌を取らなければならない点やわ。めんどっ!」と冷静に言い放った。


部活の顧問に理不尽に怒鳴られ、意味もわからずにただただ謝りに走っていたパワハラモラハラ当たり前の私の若い頃とは、対処の仕方が雲泥の差である。

さすが分析型、Z世代の良さである。


大学卒業間近の忙しい若者たちよ。

プライドの高い老害にお付き合いいただいて恐縮です。誠に申し訳ない気持ちでいっぱいである。