実家の両親のスマホをiPhoneに機種変した。もちろん両親ではなく私が手配・移行・設定全て代わりに行った。

毎度のことであるが、父の態度にはほとほと気分が萎えた。父は頑固に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わない人だ。そういうタイプの人間と関わるのは、本当に忍耐力を要する。

母はさておき、私も休日返上で実家に行き、付きっきりで面倒をみている。夕飯もそこそこにおよそ10時間。母が気を遣っておやつを出し、お茶を入れ、夕飯には孫の分もすき焼きを準備し、家用にお土産も持たせてくれる横で、当の本人である父は、手伝うでもなく他人事のように大音量でゴルフ中継を見ていた。音の配慮という感覚は持ち合わせていない。昔から【俺の家で俺がすることに文句があるのか?】というスタンスで、父以外観ていない全く興味のない番組が、リビングでの団欒の会話を邪魔するというが常であった。


また、父の代わりに母が周囲に「ありがとう」と気を遣い、黒子のようにお礼やプレゼントを準備する。母は専業主婦なので、家のお金は俺のお金。母がやることは、俺がやったことになるという理屈である。誰の誕生日もクリスマスも成人式もお年玉も、過去一度も自分で準備したことはない。


だが父は、家族が自分のために奉仕をするのは当たり前だと思っている。何故なら「俺が養ってやっている」からである。もちろん、現在私は養われていないが、関係性が改善する兆しはない。

妻や娘が、肩を揉み足をマッサージして差し上げるのは、当然の親孝行だと疑いもしない。反抗期や思春期であろうが、目の前で泣いて嫌がろうが、意にも介さず持論のみを貫き通してきたタイプの人間だ。私は悔し涙を流しながら反発をし、避け、今でもトラウマで、父の目を見て話をすることに抵抗がある。父と縁が切れないのは、母が居るからこそだ。母の負担を減らすために仕方なく父にも関わらざるを得ない。自分の娘が自分のことを嫌っているとは、父自身は想像すらしていないだろう。それくらい他人の気持ちを無視したポジティブモンスターだ。


長年私は自分のメンタルを守るために、極力接触を避けてきたが、時間が経ち嫌悪の感情も少し薄れたかのように思えていた。

だが、何のことはない。

今回ディープに関わり、負の感情をはっきり思い出した。


「あー、この人こういう人だったわ」


夜、ヘトヘトで帰宅して、身体と脳はとても疲弊しているのに、イライラの感情を消化し切れず上手く眠れなかった。私の方も父との関係性は昔の主従関係のままで、言い返す事も指摘することもやっぱり出来ないのだ。


歳をとることは当然で、80の老人が最先端の機器を使いこなせないのは当たり前である。

フォローするのが嫌なのでは無い。ただ、周囲に助けてもらって上手く生きていくべきで、それには老若男女関係なく【可愛げ】のある人間にならなければいけない。

私も赤ちゃん連れの時期に出かける際などは、「すみません。ありがとう」と自分でも笑えるくらい、頭を下げまくったものである。無理にそうなるのではなく、助けてもらえるのが本当にありがたかったからだ。


まず感謝。その先も感謝。

ありがとうは何度言っても良いし、妻や娘であってもきちんとお礼はするべきだと思う。

人間「誰かにやってあげたい」「助けてあげたい」という本能は持っていると思う。(父のように持ち合わせていない少数派は存在するが・・・😢)

その温かい気持ちに上手く乗っかって、生きていきたいものだ。