我が家は、単身赴任という名の別居状態である。子供がまだ幼稚園の時からなので、実際ついて行こうと思えば可能だったと思う。だが、すでにその段階で私は将来が見えていた。恐らく子育てにおいて、経済的な問題を除いては、夫に頼らずやっていけるであろう未来が予想できた。優柔不断な夫からは意見はほぼなく、結婚してからずっと決断も選択も自分1人でやってきた。これからも精神的支えになることはないだろう。なんなら育児に加えて夫の世話とイライラが加わり、夫の実家との関わりが加わると、私の負担な光景しか見えてこない。
夫のことは嫌いではないが、私は自身の仕事と子育てで精一杯で、それ以上寄っ掛かられるのはストレスでしかなかった。
その選択は正解だったと思う。自分の動きやすいテリトリー内で、義理実家と関わることなく、ひたすら子供と自分の生活を守ってきた。子供達は無事に育ち、就活も進学も順調である。私は子育てが終わりつつ、まだ実家住まいの子供達と大人同士の付き合いを楽しめている。幸せだと思う。
夏休みの最中、数ヶ月ぶりに夫からLINEがあった。帰ってくる予定の連絡だった。普段ほとんど連絡はない。何の音沙汰もない不器用な部分は、何十年経っても変わらない。誕生日、成人式、受験であろうと就活であろうとも、他人事のように無関心である。
昔は「私が彼を変えていったら良い・・・」と世話を焼いた時期もあった。だが、夫は何年経とうが進化しない。コミュニケーションの取り方についても学習するならいいが、それが当たり前のように私の役目でしかなく、言葉を尽くして説明するのも、もうつくづく面倒くさくなった。
世の中は何故こうも「妻が夫を育てる」図式なのだろうか?男が「俺って不器用なタイプやん。」というと美談で語られがちだが、それを言って良いのは高倉健さんだけだ。謙虚で自分に厳しい男だけである。女だって避けて通りたいことは多々ある。誰も代わりにやってくれないので、子育ても家庭の諸々も自分でこなすしか選択肢がないだけである。
子供達や妻への声掛けや関係の構築などは、妻が間に立たなくても自分で努力して頑張るべきだ。母親の私とてウザイと言われ反抗され、うるさがられてもグッと堪えて声をかけ続けている。
私は子供からの厳しい批判も浴び、反抗を受け止め乗り超えて強くなった。子供の成長に負けじと一緒に進化し、私自身変わるように意識して努力してきた。だが夫はずっと変わらない。その場足踏みを何十年続けてきた夫とは、もう、全く会話が成り立たなくなってしまった。
夫自身がこの大きなズレに気づくことはないのか?気づかない感性の鈍さにがっかりする。この先夫が定年退職した後、この人と一緒に暮らしていけるのだろうか?その前に、そもそも夫は私と一緒に暮らしたいと望んでいるのだろうか?何故一緒に居たいのだろうか?
子育てに関わってこなかったという事実から夫を解放し、色んな不満を水に流し、ただただ老後を支え合うという観点を重視して、労りあって暮らせばいいのだろうか?
4月になったら息子は独り立ちをする。「タイムリミットまで少しやで。僕が居る間に、ちゃんと話をした方が良いんちゃうか?嫌なことから逃げたらアカンで」
冷静な息子の言葉に、自分を反省する。確かに大事なことだ。アラフィフとは、そういう時期である。
今年の夏は、見て見ぬふりをし続けてきた問題に向き合おうと思う。
