結婚してみて、子供を育ててみて、20年かけて悟ったことがある。

【人間の本質は、変えられない】

【変わらない】ではなく、【変えられない】としているところがミソであり、一縷の希望ではあるが。

「結婚して生活を共にすれば、相手を変えられるかも」という夫に対しての期待は、全く思い通りにいかず、結婚して22年に至った。


先日夫が単身赴任先から出張を理由に帰って来た。コロナと子供の受験等でタイミングが測れず、いつぶりかも忘れたくらい会っていなかった。今回の帰宅の際、玄関で靴を脱いでいる夫を見た時「どこのお爺さんかな・・・」と衝撃的だった。衝撃的というか、要するに相当ガッカリしたのだ。


結婚する際、どうしても譲れないポイントは①ケチじゃない②優しい③偉そうにしない④下品じゃない

という4点。外見やセンス、優柔不断など不安な要素はあるが、その他諸々はまぁどうにかなるかな・・・と考えた。

服や外見のセンスは好みもあるのでさて置き、体重管理と、ムダ毛の処理くらいは身だしなみ。マナーの範疇である。昔は、服や持ち物は私がチョイスし、眉毛等のムダ毛、髪型についても整えてあげていた。人間は学習して身につけていくものだと思っていたので、何年か経てば「あー、こういう感じね!」と会得していくものだと思っていた。だが、何年経っても進歩しないものは進歩しないのだ。要するにいくらアドバイスしたところで、本人が「カッコよくなりたい」と努力しないと無意味なんだとわかった。いつまでも他人がかりのままなのだなと身に染みた。やってくれて甘えられるなら、いつまでもやって欲しい。そういう感覚だ。

子供が産まれ夫への関心が薄れると、何でいつまでも大の大人の眉毛や指毛を整えてるのか嫌気がさした。「もう、え〜加減、自分のことは自分でせーよ!」というイライラが募り、夫の一切の管理を手放した。が、その上に単身赴任まで重なると何のことはない。速攻でダサいオジサンに戻ってしまった。悲しい。


先日夫が単身赴任先から出張を理由に帰って来た。コロナと子供の受験等でタイミングが測れず、いつぶりかも忘れたくらい会っていなかった。

玄関で靴を脱いでいる夫を見た時「どこのお爺さんかな・・・」というのが私の正直な感想だった。よく太って白髪もそのまま。この人って、こんなだったっけ????


久々に出会う相手へは目が冷静になるもので、色んなことに気がつくものである。お互い中年同士ではあるが、私ですら夫から帰宅の連絡があれば、せめて美容院へ行ってカラーを整えメイクはマスト。第一印象を良くするべく気を使っている。いくら夫でも、ガッカリされたら悲しいからだ。センスもそうだが、「少しでも自分を良く見せたい」という感覚が無いという事実がとても悲しい。


【熟年離婚】というのは、相手への諦めと失望の気持ちが少しずつ積み重なって至るものかなと腑に落ちた。