子供達が大きくなってきて、親離れ子離れについて話すようになった。息子曰く「他の家庭での常識を知る術がないから、うちの親の言ってることが正解なのか、自分の意見を主張するべきなのか判断が難しいよね。」それは、同感。親として一生懸命意見するけれど、本当に意見した方が子供のためになるのかどうか、いつも迷う。自分が我が子にとって、正しい子育てが出来てるのかはいつも不安。

でも、正しいかどうかわからないけれど「なぜ今こういう内容を伝えたいのか」をそのまま話すように気をつけている。


「20歳を過ぎた息子が普通に遊んで遅くなることについて、いちいちうるさい。お母さんは、過保護だ。」というのが息子の主張。


例えば、何時に帰るのかを尋ねるのは、あなたを疑っているとか、遊びに行くことを批判している訳じゃない。今夜は遅くなると一言伝える手間をかけることで、同居している相手を安心させるのは、相手に対しての【大人の配慮】だということ。そしてそれは、今後誰かと暮らして行こうと思うのなら、あなたが必ず持つべき思いやりだと思う。

安心させるだけでなく、夕飯は要るのか、お風呂のお湯を落としておくのか、門灯も暖房も消しておいていいのかという、実際的な連絡でもある。

周囲へそういう心配りが出来る大人になって欲しい。


周囲の気持ちや意図を言われなくても察する娘と、具体的な例を出してはっきり言葉にして伝えないと全く関心すら持たない息子。

世の中には、息子のようなタイプの男性がとても多いと感じる。そして我が夫も例に漏れず。


少しでもわかりやすい例に例えて、相手の思いを考えるように促すのは、過保護といわれようが何と責められても、私の義務だとさえ思う。


息子は、最近普通に話しができるようになってきた。反抗して怒ったりせず、自分の理論で相手を論破しようとせずに、きちんと私の気持ちを理解する様になってきた。

ここまでくるのに20年。同じ本質を、手を変え品を変え説明し続けている。この後、誰かと暮らしていくであろう息子がどうぞ困りませんように。


各家庭の子育てや常識は知り得ないけれど、どこの親でもある意味では過保護なんじゃないでしょうか?