こんにちは。
花屋さんも再開し、なんとなくみんなソワソワ
先日の種苗法改正について、生産者の方の声や政治家の方の動画、資料をいろいろみました。いろんな方がこの種苗法についていろんな角度から発信されています。
まずは知ったことから。
今回の改正法によって「苗の自家採種の禁止」されることが一つの争点のようです。
自家消費、または農家さんに限っては、育てていく過程で採取できるタネを使って、次の世代を育成することがOKだったものができなくなります。つまり、種苗会社なり団体から買わなければならないので、生産コストが大幅に上がります。
ただ、政府の方では、「一般品種」と特定の「登録品種」に分けた適用、つまり一般品種は全体の9割、今回のこの種苗法改正の対象は残り1割の登録品種について「許諾権」というものが発生するわけで、そんなに被害ないでしょう、とのこと。
もちろん、ことの始まりは先日お伝えした通りのあまおうやシャイン・マスカットなどの品種の流出を止めるにあります。
ただ、この登録品種というものが、最初はごく限られていたのに、近年すごく増えてきているのも一つ懸念材料のようです。
また、農家の方がおっしゃっていて最もだなと思ったのは、農業という1次産業は命を支えているものであること。そこに需要があるから値を釣り上げるという資本主義を適用された時に問題が起こるのでは、という指摘です。
国の研究所でも新品種の開発に10年から20年ほどのスパンをかかるそうで、1年に5000万円ほどの費用がかかります。それ相応の利用料は支払うのは当然ですが、ただ、種苗会社という資本主義の原理を農業社会に持ち込む時、登録品種になる事によって需要が発生し、値段を釣り上げることも可能になってしまいます。
一次産業に関わる以上、種苗会社の方でそうしたことができないような規制を作るべきではないか、という生産者の方の声を聞いたとき、その通りと思いました。
一方、政治家の方の動画も見てみました。
固有種の著作権の保護、そして、どうしたって日本から海外にタネは流出してしまうものだから、海外において品種登録を行うべきでは、という内容。
・・と調べてみて、種苗法改正はいろんな角度からの議論、細かな法律はよくわかりません。ただ、法律は思いが形にしたものでありますが、私はこの議論の大枠・いい変えれば核を知りたかった
賛成・反対ありきの情報だけに踊らされるのは嫌で、情報を入れながら、私の全てがどう反応するか、を自分でみていました。
生産者の方の声は、「もしかしたら間違っているかも」という但し書きもついていましたが、真摯なご意見はストンと体に入ってきた
今回、この議論を調べてみて、これはコロナと同じく、私たちへのあり方に対する問いではないかな。。と思いました。
資本主義という、今はガタガタに崩れているこの制度の中で、コロナと同様、命とお金(権利)について、私たちはどのように向き合うのか、ということではないでしょうか。目新しいところでは、マスクがなくなって出てきたあの状況。
資本主義は能力があればどんどん儲ける、際限なく儲けることを奨励します。毎年毎年成長率をあげるって、どこまで成長すれば気がすむのかな・・。
タオ(老師)は「成長が行き過ぎれば枯れる」つまり、柔らかな🌱も成長が極まれば、末端の枝を見てください、季節がくれば硬くなり、折れます。
若い芽は柔らかい。成長が過ぎれば硬くなる。硬直化、停滞を意味します。形ある生命の一つのサイクルではあるけれど、タオはその中身、つまり心・魂の柔らかさを重視していました。
どんなに老いても、いつまでも若々しい人がいます。
その若々しさは、その方の心の柔らかさ、楽しさからきているのだと思います。ご年配の方で若々しい方は優しいし、一緒にいてこちらも穏やか〜な気分になります。
社会もこれからは同じではないでしょうか。
これまでの社会は「XX主義」と枠を当てはめていたために、形骸化していきましたが、これからは「どんなに成熟しても、柔らかく・・」という社会のあり方が理想になる気がします。
普遍的に大事なことが、これからますます脚光を浴びると思います。そして、この大事なことを守る方法は一つではありません。時流によって変わるはずです。
そうした柔らかさ、真に大切なものを時に厳しい目で洞察する力が、個人にも社会にも求められているように感じます。その上での知識!
今はプレゼン資料も中学生から作る時代、インスタ映え、見せ方の時代です
でも、そうした今の時代、自分の言葉で自分のうちにあるものを表現することは、実はされていない気がします。情報過多のために、自分を主張することに一生懸命になったり、周りばかりを気にしたり・・・結果としての形は「主張」かもしれませんが、実は、自分ではなく・・他人軸になっています。
うちにベクトルを向けると、自分=他人、つまりワンネスを経験します。分断ではなく、つながりを意識します。
うちにベクトルを向けた時、初めて他者を受け入れる柔らかさ、そして内なるものを恐れずに表現する姿勢に結びつくのではないでしょうか。
生産者の方の意見は、私心がないから心に響いたのだと思います。
コロナでのおこもり生活。
いろんな政治や経済の問題。。
これまでの活動を止めて、自分に向き合う時間を取って、自分を表現する下準備をするように采配されている気がします
どんな時代になるか!?一緒に創造していきましょう