今年も残すところ、あと2日!
今年はすっかり海の魅力に引き込まれた1年であり、
海のおかげで心が躍動し始めた1年でした。
みなさんにはどんな1年だったでしょうか。
さて、すっかり年末にばたばたとして更新が遅れましたが、前回の八丈富士に続いて今年はやはり海でしめたいと思いますp(^-^)q
八丈島は、「八丈ブルー」といわれるような、群青色の素晴らしい海で有名です。
あいにくのお天気で八丈ブルーの海には潜れなかったけれど、サンゴも、人懐っこいアジもウミウシも、
荒れた海上はどこ吹く風!何事もないように迎えてくれました。
ウツボもいました。怖いのに、ちょっと間抜けな顔、、なかなか愛嬌があります。笑
海はいつもと違う無重力空間に飛び込むので、自然と私の間には何の境界もなくなり一体化する感覚があります。魚になるような感じ。
山では自分と山に距離があって、それはそれで楽しいけれど、海は自分が全く無になる、動物も人間も、目線は変わらない。同じ「生き物」になります。
だから、海に入ると、人間の自分がどれほど思いの「クセ」にとらわれているかを知らされます。
私はダイビングのライセンスをもつものの、今年から久しぶりに潜り始めた初心者も初心者です。
前回はうまく潜れたし・・・、なんて少し余裕をもってはいましたが、おっと、体が浮いてなかなかもぐることができない!潜ろうとしても一定以上沈めない・・・・。
ダイビングでは息をしっかりはいて、リラックスして体内の空気をださないと、沈めません。
いつも呼吸に集中して瞑想しているし、しっかり息もはいているつもりなのに沈めない。。
どうして沈まないのかわかりません。
「力が入っているのかな?しっかり息をはかなきゃ。」
「まだ沈めない。もっと息をはこう。」
「体に力が入っているの?自然に自然に・・」
「沈めない」という”問題”に対して、「自分の何かが間違っている」と思って必死に修正を試みます。
ガイドさんもいろいろとアドバイスをしてくれて、最後に「息を吐いていますか?」とボード「書いてくれました。
それを見た途端、なぜか「私はとにかく魚をみたいのっ!」と強烈な思いが込み上げてきました。
するとすぐに、すーっと何事もなく海底におりることができたのです。
その時は「やっほー!」と、ただ嬉しくてそのまま魚を楽しんでしましたが、あとからわかりました。。
「何かをみたい!」とか、「これをしたい!」と心から感じると、体は自然にその方向をしっかり向いてくれるものなんだ・・。
体に「力を抜け」とか、「ここをこうして、」という意志のコントロールは殆どきかない。考えてみれば当然です。
心臓なんて、自分の意志とは無関係に動き続けてくれている。
胃だって、意志とは無関係に食事を消化してくれる。
こんな大きな力に生かされていることに気が付かされます。
その大きな力の中で、心から「これをしたい」と思うことには意味があって、
それは体が自然に実現の方向をむいてくれます。
だから、心から思うことはその大きな力と同じくらい実はすごい力を秘めているのです。
不自由な海の中だからこそ、自分の本当の希望に気が付けた。
自由な地上には、本当の希望から気をそらすものがあふれています。
だから、自分の気持ちに向き合う必要に迫られず、なんとなく生きてしまう。
なによりも、社会のみえないエクセルのような網の目の中でカテゴリーにはまることは、ある意味心地よく、自分の希望を叶えることからは面倒くさいからにげてしまう。
気持ちに気が付いたら、自分に真剣に向き合わないといけなくなるから。
西洋の占星術では、2000年代にはいり、男性性であるうお座から、女性性のみずがめ座にはいりました。
勝負の時代から、調和の時代へ。
勝負の時代では、戦う相手があって自分があった。
調和の時代では、自分があって、初めて相手と調和できる。
みんな、相対的に自分を知るのでなく、主体的に自分を知る必要がでてきたのです。
そんな時代だから、自然で遊ぶこと、流行るかもしれない。
なによりも、自然破壊を進めてきた時代に対して、自然や伝統文化、調和というものが
一気に見直されてくる気がします。人間と自然というより、人間と人間、いえ、一人一人という空間の中での男性性、女性性の調和のために。
おっと、八丈島!海の中の様子をアップして、元気をくれた海の仲間を次の機会に紹介したいと思います。
今年最後になりましたが・・
自分を知ること、表現すること、ブログを今年初めてよかったです。
ますます来年も加速していきたいと思います。
みなさんもよいお年をお迎えください!
お付き合い頂いてありがとうございました