私は「ヒロシマ」3世。
「ヒロシマ」の惨劇を
自ら語ろうとせずに亡くなった祖父。
我が家の語り部はすでにこの世にはいないけれど
私の血の中には
あの日の記憶が脈々と流れ続けている。
毎年、
この時期になると
遠く九州の地で
あの日の広島赤十字病院内での出来事を想像してみるのです。
祖父は何を見て
何を思ったのだろうと。
「ヒロシマ」手帳を捨ててしまうまでに至った胸の痛み。
私には到底たどり着けないであろう
恐怖、苦しみ、悲しみ、憎しみ。
故郷へ帰り着いたときに見えたのは
希望の光だったのだろうか。
何事もなかったようにふるまいながら
人のためになることを
…と生き続けた祖父。
生き残ったゆえのつらさを
誰か理解してくれる人はいたのだろうか。
祖父が見たせかいを
私はこうやって今年も調べている。
苦しかったのですね。
つらかったのですね。
悲しかったのですね。
命の儚さ。
平和の儚さ。
儚いものは尊く。
あなたが生きてくれていたからこそ
私はここに存在する。
そうして
「ヒロシマ」の意味を考えながら
今日のこの日を過ごすことができるのです。
いのちを、ありがとう。