朝日新聞に掲載された鳥飼玖美子さんの「これからの英語」論。
賛否両論、とーっても反響が大きいようです。
(鳥飼さんの記事はこちらの方が載せてくださってます → http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20101021/p1)
モナリザは、読んだ瞬間、同意!完全に賛成!!
どこが反対するところあるの!?
と思いましたが、いろんな方のご意見をネットで見ていて、ちょっと冷静に考える部分が出てきました。
ミコさんのご感想(→こちら)はとても参考になりました。
そういうアンテナを張っていたからか、前々から気になってはいたものの購入していなかったこちらの本↓、今日本屋さんで見かけてパラパラ見てみたら・・・
英語授業の心・技・体/靜 哲人

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鳥飼さんの「L と R の違いは文脈で分かるから、(きちんと言えなくても)全然問題ない」という意見に、真っ向から大反論している本でした。
まさにタイムリーな話題だったので、さっそく買って読んでいます。
第1章は、なぜ発音が大事かを熱く、そして、かなり厳しい口調で論じています。
結構怖い先生なのかな・・と思わされるくらいの気迫です。
でも、それくらい、発音を中高の先生が教えられていないことに憤っておられるのが伝わってきます。
(著者は大学の先生です)
特に、
「自分がきちんと発音できないから生徒にもきちんとした発音を求めないというのは、心情的にはまだ分かるが、自分はできるのに生徒には適当で良いというのは先生として冷たいんじゃないか」
というご意見は、う~ん確かにそうかも、と思いました。
確かに、モナリザも大学で発音をきちんと習ったとき、目から鱗だったし、きちんと言えるようになってすごく嬉しかったのを覚えています。
「できなくても良い」というのは、どうしてもできない時の「なぐさめ論」であって、きちんと発音できないと、聞いている相手に負担を掛けたり、違う単語と間違えられて自分が恥を書くような場合だってある、ということが例を交えながらこんこんと語られています。
この問題、発音に関しては、もう少し本を読み進めて、ゆっくり考えてみたいと思います。
いずれにしても、モナリザが鳥飼さんのご意見に最も賛同した部分は、
英語は、申し訳ないけれど米英人たちの固有財産ではなくなったんです。彼らにとっては変な英語がまかり通って不快でしょう。けれど、私たちだって苦労して勉強しているんです。彼らにも歩み寄ってもらわなければ。共通語なんですから
っていうところ。
特に、モナリザの心に響いたのは、鳥飼さんが
『申し訳ないけれど』
とおっしゃっているところ。
もしこれが英語じゃなくて日本語だったら。
世界中の人が、へんてこりんな日本語を自由勝手に話し出して、
「これが共通語なんだから、日本人の日本語だけが正解と思うな!」
となっていたら。
「日本語の良さが失われていく」なんて思ったとしても不思議はない。
それを英語圏の人は体験している訳です。
そう思うと、もちろんお互い歩み寄らなければいけないんだけど、と、同時に「申し訳ない」という言葉が出るところに、とても共感を持ちました。
今日は長くなったのでこの辺で。
