誰にでも、ふっと本音が出る瞬間はあるだろう。
会社でかむしゃらに働いて、満員の電車に乗ったら
目の前の座席が空いて、ついてる、と思いながら
どかっと座席に座った時。
小さな子供がどたばたと騒ぎながら朝の支度を済ませて
「行ってきます」と学校に行った途端、静けかな
空間にホッとした時。
「ハァ・・」と息を吸い込んで、心の底から
「フッー」と息を吐きだす。
そんな無防備な心の中には、自分の本音が詰まっている。
疲れたなぁ。
なんでこんなに忙しいの?
なんで自分ばかり。
今日もしたいことができなかった。
その気持ちは自分自身というより、自分を取り巻く
環境や人間関係に対する不満が多い。
誰かの尻ぬぐい。
人はそんな感情を抱きながら、でも、本当は
そんな気持ちで自分も誰かも支えあいながら、
社会は成り立っているのだと思う。
私の行動範囲の社会は、きっと誰よりも狭い。
畳一畳ほどのスペースに、テレビ、パソコン、
スマホにタブレットがいつもあり、そこに
コーヒーやジュースを持って半日はそこで過ごす。
あとの半日は少しの家事とお昼寝の時間。
たまに買物にでるけれど、疲れるからすぐに
帰ってくる。
在宅の旦那さんがいる時には、できるだけ
一緒にご飯を食べたりおしゃべりをするように
している。
「忙しい」がいつもの口癖。
朝もお昼も寝るまでしている仕事でも、横から
私の中の大ニュースをしゃべろうものなら
「うるさい」「あっち行け」と追い返される。
そんな旦那さんが一息つくのは、ご飯を
食べ終えてデザートを食べている時。
どうしてこんなに忙しいんだ?
なんで仕事が終わらないんだ?
おかしいだろう?
なんでだ?
と、いつもこぼしている。
私にしてみれば、普通に仕事ができたり、
普通に子育てができたり、ご近所さんと
お付き合いできたり、ママ友とランチに
行ったり、そんな普通のことが普通にできる
ことが羨ましくてしかたないのに。
人は誰でも「ないものねだり」をする生き物
なのだろう。
きつい時には眠れるし、家事ができなくても
仕方ないと思われてるし、病院に行くこと以外
できなくてもいい、と思われている私は
果たして幸せな人、なのだろうか?
愚痴りたい気持ちは、きっと誰かと関わっているから
でるもののような気がする。
私の中には、きついなぁ、以外の愚痴はあまりない。
ゆっくりできることも幸せだと思っているし、
隣で忙しく動き回っているインコちゃんたちも
私の気持ちを癒してくれる。
誰かの本音は、気を許している人にしか話せない。
子供が旦那さんには言えずに私だけに愚痴ること。
旦那さんが言う、毎日同じ愚痴の繰り返し。
その言葉を聞きながら、社会とは無縁になった
私は、今の社会の在り方を実感している。
本音が言える、自分の時間は必要不可欠。
そうして、人は、本音が言えない厳しい
社会へと戻っていくのだと思うから。