凌霄花と書き、ノウゼンカズラと読みますが、
中国の植物名の音読みに、近いことは近い。
 
霄の、音はショウ、訓は、みぞれ、そら。
 
雨の下に肖ですが、
肖は、似るとか、あやかるの、意味でしょう?
 
雨に似るから、みぞれは、わかりますが、
空は、どこから来た意味なのか、
わたしは知りません。
 
霄壌って、言いますよね。
天と地の意味。
 
霄壤の差という型通りの表現以外に、
ほとんど使いませんが。
 
霄壤の霄の、空の意味が、
凌霄花(のうぜんかずら)の霄の意味です。
 
空を凌ぐ花。
 
蔓性ですから、
それほど高く登る、という意味ですが、
蔓(つる)から、気根をたくさん出して、
狭い所に入っていきます。
 
湿気や暗がりを求めてと、思いますが、
狭い所に気根が入れば、外れませんので、
蔓を支える足場になります。
 
落葉性ですが、放ったらかしでも、
しぶとく育ちます。
 
蔓性の植物は、他の植物に絡みつきますので、
それだけでも、要領の良い生き方ですが、
ノウゼンカズラは、花もキレイで、
夏の間に、ずっと咲いていますから、
憎たらしくも見えるかも。
 
緑の葉が、鮮やかです。
 
 
   ***    ***
 
 
物理化学の法則と言えども、
人間の知覚に依存せずに、成り立つことは、
あり得ません。
 
知覚されなければ、
その法則の正当性だけでなく、
そんな具体的な現象があるとも、
気づかれないのは、当たり前です。
 
たとえ間接的でも、
どこかで、だれかが、知覚しなければ、
物理化学の現象も、規則性も、ありません。
 
計器の示す数値を知り、論理法則により、
事実の存在や規則性を、類推するだけでなく、
正当性の検証を、直接に知覚できなくとも、
計器を使い、確かに事実を再現できると、
間接的に知覚できなければなりません。
 
実験的に、一部が再現されたとしても、
広く科学技術の事実として、
再現されなければ、
自然科学の信憑性は、希薄です。
 
小保方晴子氏だけでなく、山中伸弥氏にも、
問い質してみると、良いでしょう。
 
 
   刑事裁判で公表される証拠は、
   植草一秀氏の手指に付着していたと、
   科学捜査研究所の
   主張した繊維片のように、
   捏造でない、という証明が、
   通常は皆無です。
 
   刑事事件の証拠物件の、ほぼ全部は、
   書類上の事務的な作り話と、
   識別できません。
 
   和歌山の毒物カレー事件の、
   被告人の家の台所から、
   検出されたという砒素(ひそ)を、
   裁判所は、証拠としましたが、
   物的証拠を捏造した上の、
   捜査当局の讒言(ざんげん)でない、
   という証明が、ありませんでした。
 
   本当であったかも知れませんが、
   作り話であったも知れません。
 
   決定的な判断の根拠は、
   何もありませんでした。
 
   裁判官や検察官や捜査員などの、
   判断力を検査すれば、わかりますが、
   ジャーナリストや
   中学高校の教員などと、
   さして変わりません。
 
   これでは、ゴキブリに向けて、
   殺虫剤を撒(ま)くようなもので、
   ゴキブリの個体による犯罪を、
   洗い出せるとは、到底、思えません。
 
   そのゴキブリは、
   本当に、法律に違反した犯人ですか。
 
   証拠や証明もないのに、
   殺虫剤を吹き付けませんでしたか。
 
   ゴキブリに対する偏見を、
   剥き出しにしただけですから、
   犯罪物語に相応(ふさわ)しい人間を、
   捜査当局が炙(あぶ)り出して、
   法律家が追認したにすぎません。
 
   精神病もそう。
 
   架空の幻聴物語や、させられ体験に、
   相応しい人間を、
   家族が突き出したのでなければ、
   捜査に失敗した当局が、
   冤罪を揉み消すために、
   不起訴にして措置入院にしただけです。
 
 
人間の知覚に拠らない自然の事実や規則性が、
存在すると、物理化学が吹聴したので、
イギリスの産業革命が起こり、
人間の知覚に拠る社会の事実や規則性が、
存在すると、ロマン主義者たちが吹聴して、
ヨーロッパ大陸の、
革命と戦争の時代の、幕を開けました。
 
ロベスピエールやダントンが、
何を信じて、
たくさんの人の首を、ギロチンで刎ねたかは、
数学のできないスターリンやヒトラーや、
日本の法律家たちを見れば、
簡単にわかります。
 
論理的に検証すれば、本当に起こった事実を、
絞り込んで行くことができると、
彼らは、信じていました。
 
数学の規則性やコンピュータを見れば、
明らかなように、
何が本当に起こった事実か、という価値に、
論理法則は無関心です。
 
本当の事実と、嘘の事実を、
論理法則は、識別できませんから。
 
期待する判断の道筋を、
論理法則は、特定するだけですから、
いかにも犯人や精神病のような人が、
論理的に、間違いなく犯人や精神病であると、
指摘されます。
 
 
   独身者の多い木造アパートの近くの、
   ゴミ集積場に、収集日でないのに、
   生ゴミが捨てられて、腐臭が甚だしい。
 
   自治会は、
   木造アパートがあるからと、言います。
 
   高感度の隠しカメラで、
   一晩中、ビデオに撮影すると、
   ゴミ収集日でないのに、真夜中に、
   次々と生ゴミを捨てに来るのは、
   塀に囲まれた邸宅の住人ばかりでした。
 
   警察が、冤罪を作り、
   精神科医が、
   健常な精神の人を、精神病と診断して、
   強制的に隔離監禁するのは、
   いずれも、これと同じです。
 
   精神科では、
   抗精神病薬を強制投与しますから、
   注射を打たれた人は、皆、廃人になります。
 
   2度と治りません。
 
   論理的に、
   これこれなら、必ずこうなると、
   判断できるのは、
   数学でなければ、
   科学技術の事実や、刑事訴訟や、
   精神科の強制入院のように、
   意図して事実を再現するからに、
   決まっています。
 
   主張した通りになるように、
   事実を作るから、自作自演と言います。
 
   脳やコンピュータは、
   そのためにありますから、
   当たり前ですが。