忘れな草(Non Ti Scordar di Me)
 
テノール : アリゴ・ポーラ(Arrigo Pola)
 
    ※ 他の10倍の巨大音量に、注意!!
 
 
   ***    ***
 
 
作詞 Domenico Furno 作曲 Ernesto De-Curtis

   Non Ti Scordar di Me


Partirono le rondini dal mio paese freddo
E senza sole
Cercando primavere di viole
Nidi d'amore e di felicità
 
La mia piccola rondine partì
Senza lasciarmi un bacio
Senza un addio partì
 
Non ti scordar di me
La vita mia legata a te
Io t'amo sempre più
Nel sogno mio rimani tu
 
Non ti scordar di me
La vita mia legata a te
C'è sempre un nido nel mio cor per te
Non ti scordar di me
 
Non ti scordar di me
La vita mia legata a te
C'è sempre un nido nel mio cor per te
Non ti scordar di me


よく歌われますので、
日本語訳も、インターネットに一杯です。
 
ようするに、

つばめは去って行った。
春の花と幸せを求めて。
別れの言葉もキスもなく。
 
わたしを忘れないで。
心の中に、いつも、あなたがいる。
 
そういう意味の歌詞ですが、
騎士ルドルフと恋人ベルタの、
忘れな草の民話を、踏まえた歌詞です。
   
 
   グリム童話(Grimms Märchen)の
   いばら姫
   (Dornröschen 眠れる森の美女)に
   ゆかりの、
   ドイツのラインハルトの森
   (Reinhardswald)の、
   ザバブルグ城(Schloss Sababurg)
   には、
   忘れな草の伝説が伝わり、
   現在は、ホテルになっていますが、
   あたり一面に、
   播種された忘れな草が一杯です。
 
   ライン川の支流の
   マイン川(Main)のほとりの、
   ヘッセン州(Land Hessen)なのに、
   忘れな草の民話は、
   ドナウ川のほとりの話です。
 
   騎士ルドルフが、少女ベルタのために、
   青い綺麗な花を、
   摘んであげましたが、
   足を滑らせて、ドナウ川に流されます。
 
   摘んだ花を、岸辺のベルタに投げて、
   僕を忘れないでと、笑っていましたが、
   そのまま、岸から離れて、
   2度と戻りませんでした。
  
   彼女は、ルドルフの墓に、
   青い花を一杯摘んで、供えました。
 
   騎士ルドルフの実家が、
   ヘッセンのザバブルグ城と、
   言うのです。
    
   ヨーロッパの、ゲルマン系民族の、
   至る所に伝わる民話ですが、
   中世の城の維持費は高く、
   観光客誘致に熱心でした。
 
 
忘れな草は、
ドイツ語では、Vergissmeinnicht、
英語では、Forget-me-notと言います。
 
日本語は、1905年(明治38年)に、
マリモや台湾の植物の川上滝弥が、
忘れな草と、翻訳しました。
 
さそり型花序(scorpioid)の、
ムラサキ科のワスレナグサ
(Myosotis scorpioides)です。
 
このブログに、何度も書きましたが、
リンクしようとすると、
ブログを、複数回、引っ越していますので、
アドレスの関係で、
面倒くさいことになります。
 
好きな人は、検索して、探してみて下さい。
わたしのブログにも、書いたことがあります。
 
ワスレナグサの近縁種や品種すべてを、
一般に、忘れな草と言いますので、
ワスレナグサ属(Myosotis)全部を、
指(さ)しています。
 
 
   歌は、ドイツ民話にもとづく詩に、
   ナポリのクルティスが作曲しました。
 
   カンツォーネ・ナポレターナ
   (Canzone napoletana)の体裁ですが、
   1935年のイタリア映画
   "Non Ti Scordar Di Me" の、
   主題歌として、
   テノールのベニャミーノ・ジーリ
   (Beniamino Gigli)が歌いました。
 
   
歌の意味は、忘れな草よりも、ツバメですから、
わたしは、
若いツバメ、という日本の言葉のほうを、
思い出してしまいます。
 
元始、女性は太陽であった、の、
婦人運動家の、平塚らいてい(平塚雷鳥)が、
年下の男性画家を、若いツバメと、
呼んでいました。 
 
マスコミのネタになり、持て囃されましたが、
男性のほうが、逃げ出した時の、
らいてう宛の手紙に、
 
「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ
一羽のツバメが飛んできて
平和を乱してしまった。
若いツバメは
池の平和のために飛び去っていく」
 
と書いたのを、
らいてうが『青鞜』に発表して、
またまた、有名になりました。
 
若いツバメとは、
年下の恋人の男性の意味です。
 
この画家の奥村博史の言葉のほうが、
クルティスの歌の、忘れな草の歌詞に、
ぴったりです。
 
 
   今回は、
   アリゴ・ポーラ(Arrigo Pola)の
   テノールを貼り付けて置きます。
 
   オペラ歌手でしたが、
   東京芸大に雇われましたので、
   日本の歌好きには、
   お馴染みの先生です。
 
   いま聞いても、上手(うま)い。
   こんなに上手いのを、
   どうやって、引き抜いて来たのかが、
   不思議です。
 
   来日以前に、
   シンガポールやインドネシアなどでも、
   オペラを教えていましたから、
   アジア人に、ベルカントを聞かせて、
   ドヤ顔をするのが、
   好きだったのかも知れません。
 
   インドネシアにしても日本にしても、
   伝統的な発声法がありますから、
   テノールを聞いても、驚きません。
 
   昔は、
   マイクやスピーカがありませんので、
   世界中、どこでも、
   プロの歌手は、大声を出さなければ、
   仕事になりません。
 
   毎日、大声を出しても、
   大丈夫な発声法は、
   世界中、どこにでも、伝わっています。
 
   ヨーロッパの発声法が、
   一番良いとは、だれも思いません。
 
   わたしは、男性の高い声なら、
   45年くらい前の、
   最上川舟唄の大塚文雄のほうが、
   こんなに聴き応えのある声を出して、
   大丈夫なのかと、はらはらしました。
 
   日本民謡の高い声は、
   喉を痛めますから、
   男声の民謡歌手は、声の寿命が短い。
 
   大塚氏の声を聞いてから、
   フランコ・コレッリ(Franco Corelli)
   を聞いても、粕(かす)でした。
 
   
アリゴ・ポーラは、藤原歌劇団の音楽監督も、
引き受けていましたから、
日本のオペラファンは、皆、知っています。
 
歌い方が、上手い。
 
なるほど、大学教授にぴったりですですが、
教え方が上手いかは、知りません。
 
世界的には、
パバロッティ(Luciano Pavarotti)の
先生として、知られています。
 
貧乏人のパバロッティ家のために、
現役の一流のオペラ歌手が、
幼児のピアノのお稽古のような月謝で、
教えたのですから、
彼を見込んで、投資したのでしょう。
 
パヴァロッティを育てたお蔭で、
東京芸大教授になりましたから、
褒められたのでしょうか、
それとも、アホと笑われたのでしょうか。
 
わかりません。
 
現役の一流の歌舞伎役者が、
アメリカの素人歌舞伎の役者の、
個人教授を引き受けるのは、物笑いです。
 
なんでアメリカ人に
能や歌舞伎を、教えないといけないのか・・・
 
なんで日本人に、
オペラを教えないといけないのか。
 
藤原義江は、
メトロポリタンの蝶々夫人の公演を見て、
レベルが低いと、文句を言っていましたから、
なるほどと思います。
 
必ず、師を超える弟子が、現れますから、
アリゴ・ポーラに教えられれば、
日本のオペラは、世界一流になります。
 
なんで日本人が、オペラなのかと、
それが問題です。
 
 
   声の質は、95%くらい、
   頭蓋骨の形により、決まります。
 
   ラジオで声を聴き、
   知らない人の顔を、想像してから、
   実際に顔を見ると、
   ほぼ的中しています。
  
   その反対に、前と横からの写真を見て、
   声を想像してから、
   実際に声を聞いても、
   やはり予想通りです。
 
   顔と声は、同じなのです。
 
   声が良いとは、
   顔が良いと言うのと、同じで、
   ほぼ完全に、エステティックです。
 
   歌が上手いと、評価するのは、
   顔を評価しているのと、同じですから、
   問題です。
 
   なぜ、日本人が、オペラなのかと。
 
   嘘こけと、思うかも知れませんが、
   声の質の識別と、頭蓋骨の形の識別が、
   同じであるのは、簡単に実験できます。
 
   わたしは、
   オペラ歌手に首ったけの耳鼻科医を、
   信じません。