P1010048トラツグミ 
冬でも、梅園に人が多いのは、
品種により、満開の個体があるから。
 
葉のない樹木が、季節を感じて、
春一番に、花を咲かせるのは、魅力です。
 
梅は、ごつごつの黒い枝振りですから、
花びらが開くと、エロティックです。
 
人がいるのに、
梅園の芝生の上で、虫を探して、歩いていました。
 
トラツグミです。
きれいな模様ですが、真似のしやすい鳴き声ですから、
おびき寄せられないかと、気になりました。
 
 
  よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬえ鳥の
 
  うら嘆(な)げ居りと 告げむ子もがも
 
             『万葉集』 巻10-2031
 
 
鵺鳥(ぬえどり)は、トラツグミと言われています。
 
 
   ***    ***
 
 
目で見る光景や、耳で聞く音声を、
成人と同じように、見聞きできるようになるのは、
だいたい、1才頃です。
 
論理法則を運用する能力も、知覚の形成と、
同じです。
正しく言えば、論理能力と知覚能力は、同一です。
 
赤ちゃんの頃に形成された知覚能力が、
その後、向上することは、ないように、
論理能力も、その後、低下する一方です。
 
赤ちゃんは、目で見たことや、耳で聞いたことを、
写真やボイスレコーダに、記録したかのように、
意味もわからずに、そっくりそのまま、記憶します。
 
猿のように模倣するのが、
言語を習得するには、一番良いのかも、知れません。
まずは、そっくりそのまま、記憶して、
あとから、だんだんと、意味がわかって来ます。
 
意味もわからずに、他人の言葉を真似るのは、
成長すると、怖くて出来ません。
そうなれば、言語を習得できませんから、
外国語の上手(うま)い人は、猿かも知れません。
 
 
   論理能力は、目や耳や手などの、
   知覚を形成する能力と、
   まったく同一です。
 
   判断の枝分かれや組合せの中から、
   特定の判断の道筋を、
   瞬時に選択することができます。
 
   プログラムをコンパイルして、
   0と1の、マシン語に翻訳すれば、
   字数がわかりますので、
   判断の枝分かれの回数が、わかります。
 
   1つの神経細胞の樹状突起に、
   それほど、たくんの枝分かれが、ありませんから、
   多数の神経細胞の樹状突起を、
   股に懸けるように、跨(また)ぎ、
   梯子(はしご)を登るように、
   継ぎ足さなければいけません。
 
   論理能力は、たくさんの枝分かれの中から、
   実際に選択した道筋と、
   選択しなかった無数の道筋を知り、
   樹状突起の端末の数だけの、
   無数の判断の組合せを、
   自由に変更できる能力です。
 
   当然、
   たくさんの神経細胞の樹状突起を、
   繋ぎ合わせて、
   すべての判断の、組合せや枝分かれを、知るための、
   1つ以上の、バーチャルな系図を、
   いつも、持っていなければ、いけません。
 
   どのような判断にも、汎用的に使用できますが、
   具体的な判断の道筋により、
   理想的な系図の、どの部分や断片を、
   どの神経細胞に委ねるかが、違います。
 
   少なくとも、実際に選択された判断の道筋は、
   完全でなければ、いけませんが、
   そうでない判断の組合せを示すための、
   無数の枝分かれの道筋を、とりあえずは、
   大雑把に間(ま)に合わせて、
   急場を凌ぐことが、できるかも知れません。
 
   すべての判断の組合せの中から、
   試行錯誤により、
   特定の道筋を選ぶのでなければ、
   他人の判断の結論を、不可逆的に記憶して、
   脳の樹状突起の容量を、
   消費するだけかも知れません。
 
   特定の道筋しか、
   樹状突起の枝分かれを、確保できなければ、
   脳は、他人の受け売りや、
   当人の当てずっぽうのために、
   使用されますから、
   他人や権力のための、
   メモ帳や宣伝ビラの役割しか、担えません。
 
   もしかしたら、
   選ばれた判断を、完全に記憶するための、
   樹状突起を確保することも、
   できなかったかも知れません。
 
   結果がわかれば、途中の道筋がわかるのは、
   すべての判断の枝分かれを、
   樹状突起に再現できる場合だけです。
 
 
樹状突起の継ぎ合わせを差配する論理が、
知覚と同一です。
知覚は論理のことであり、論理は知覚のことです。
 
意味が同じであるだけでなく、
知覚と論理は、同一ですが、
判断の道筋のように、判断の手順を、
時間の順序に並べれば、論理と言われ、
事実の識別を、枝分かれのように、
空間的に展開すれば、知覚と言われます。
 
人間の知覚は、目が中心ですので、
その傾向があります。
 
言葉のニュアンスにすぎませんから、
論理と知覚は、同一と思って、構いません。
むしろ、違うと思う人は、
ロマン主義とコンピュータの関係を、
理解できません。
 
目の見えない人や、耳の聞こえない人は、
論理のわからないあほと、思うかも知れませんが、
生まれつきでしたら、
論理法則の中身の、個々の教条の組合せが
違うだけです。
 
人は皆、それぞれに、
論理法則の中身が、遺伝的に違いますので、
目や耳が、見えなかったり聞こえなかったりしても、
別段、不思議でありません。
 
目や耳や手や身体があるのを、事実とするのは、
バーチャルにすぎません。
1才以後に、そうなった人が、
論理能力に変更をきたさないのは、当然です。
 
 
   コンピュータは、論理を実行できますので、
   人間と同様の事実を、完璧に知覚できます。
   プログラマーが、
   事実や知覚の成り立ちを知らないので、
   プログラムを書けないだけです。
   コンピュータは、
   ロマン主義と言われる思想に、異議を申し立てて、
   形式論理を実行するために作られた機械であり、
   日本国憲法や刑事訴訟や精神医学などの、
   ロマンティックな事実や精神の存在を、
   根本から否定していることを、
   日本人は、理解できません。
 
   言語が違えば、話が通じないのは、
   当たり前ですから、
   刑事犯罪や精神疾患とするのが、
   間違いであることは、言うまでもありません。
 
   外国語を知らなければ、
   言語の異なるコミュニケーションが、どうなるかを、
   知らない人は、
   刑事訴訟や精神医療に、携わらないほうが、良い。
 
   論理能力が違えば、知覚が違いますから、
   2人の間で、どのような事態になるかを、
   知らない法律家や医者は、あほです。
 
   論理能力は、優劣でなく、
   言語の違いのように、異なりますから、
   知能指数のような、
   ロマンティックな精神科医の考え出した尺度では、
   測れませんが、
   あえて知能指数で言うなら、
   あほの法律家や医者は、だいたいIQ160未満です。
 
   法律家や医者にならなければ良いのに、
   人数が足りませんので、仕方ありません。
 
   160の線は、
   知能指数を考え出したウィリアム・シュテルン
   (William Stern)が、
   自分の知能指数を、IQ155と決めたそうですから、
   そのあたりに、関係があるのかも知れませんが、
   東京大学医学部学生の平均知能指数が、
   145前後ですので、
   経験的に、その子たちには荷が重いと、わかります。
 
   IQ160以上の青年は、受験勉強をしてまで、
   東京大学医学部に行きたいと、思わないことが多く、
   東大出身者のようになりたいと、憧れません。
   青年の夢が壊れます。
 
   知能検査や学力検査で評価されるような、
   こせこせとした都会的な要領の良さや、
   ディレッタントな優越感は、
   IQ160未満の理想かも知れませんが、あほに見えます。
 
   2000ccの車が、1300よりも鼻が高く、
   チタンよりも、ずっしりと重い鋼鉄のライターを、
   サラリーマンが持ち歩いていた昔を、思い出します。
   だんだんと、プラスチックの使い捨てライターに、
   変わりましたが、
   私は、大学を出て、すぐに禁煙しましたので、
   肺が、タバコのヤニで真っ黒になり、
   X線写真が真っ白に写れば、いいなあと、
   頭の悪い医者が、全滅することを、星に願いました。
 
 
言語が違えば、なぜ、話が通じないのかって、
仕組は、結構複雑ですが、
論理法則の教条が違えば、知覚が違いますから、
事実が通じないのは、当たり前なのに、
法律家や精神科医などの、ロマン主義者は、
通じると信じています。
 
論理法則が同じなら、知覚や事実は通じると、
思う人は、法律家や医者に、搾取されるでしょう。
 
錦鯉の模様が、1尾ずつ違うように、
知覚や事実が、通じていないのに、
通じたように思い込む人は、
言語の違いを、識別できないように、
論理法則の違いを、
知覚や事実から、識別する能力が、ありません。
  
ようするに、論理法則を知りません。
具体的には、何と何と何が、論理法則の教条であるかを、
知りません。
 
論理法則を知らないのに、知覚することができるのは、
自覚しなくても、知覚できるからですが、
心臓が動いているのを、自覚しなくても、
生きて行けます。 
 
知る必要がないのなら、
あほのほうが、良いかも知れません。
ビル・ゲイツを見ると、
あんな人間になりたくないと、思います。
 
論理法則や時間や空間などだけでなく、
憲法や健康や自然などと、
すべての人に共通の原理を、
作ったり発見したりするのが、
何のためと、わからなければ、
鉄砲や黒船や原爆やコンピュータに、
間引かれて行きます。
 
事実や知覚や身体も、そうなのに・・・