毎年、同じ場所に育つので、
この時期に行くと、
やはり、咲いていました。
大慌てで実をつけて、すぐに枯れますので、
スプリング・エフェメラル
(Spring ephemerals)と、言われます。
カタクリ、フクジュソウ、セツブンソウ、
ニリンソウ、などの、
春の儚(はかな)い命に譬えられる草花を、
春植物と翻訳します。
姿を現すのは、
この季節と、冬のロゼットだけですが、
地下の塊根が、夏でも生きていますので、
地上の有性生殖に、さほどの執念がなく、
あまり、魅力を感じていないように、
見えます。
それとも
短期間のうちに、種(たね)を作りますので、
有性生殖を重視しているのでしょうか。
わたしは、塊根を使った栄養繁殖の、
地下生活に共感します。
性生活や個人主義などを、謳歌するような、
地上の文化文明が、面倒臭くて、
仕方ありません。
43才くらいの、老眼の始まった頃に、
予感しましたが、
50才を超えると、急速に知能が低下して、
ほんの数年で、チンパンジー未満にまで、
落ちぶれました。
60才を超えると、
血管や軟骨の耐用年数が、なくなり、
寝たり座ったりが、苦痛になります。
眠れないし、夢を見ませんから、
死ぬのが、いちばん嬉しい。
安倍晋三が、教育勅語を賛美しても、
他人のアホまで、かまってられません。
彼は、脳みそが、腸のようなものでしたから、
下痢止めの整腸剤を、
脳に放り込んでも、不思議でありません。
人間は、若く健康なうちに死ぬのが、一番と、
三島由紀夫氏は考えましたが、
あんなアホの言うことを、
だれも信じなかったのが、間違いでした。
三島の同世代の人間は、皆、よぼよぼになり、
後悔しています。
若く元気なうちに、死んで置くべきだったと。
ムラサキケマンは、
暑い時に、日の目を見ませんし、
冬はロゼットですから、
省エネに徹しています。
なんとなく、この生き方が、
儚(はかな)い夢でないかと、案じられます。
これでは、長生きしてしまいます。
落胆して、周囲との落差が大きくなり、
時代錯誤を温存するのでないかと。
遠目には、
ホトケノザが咲いているように見えますので、
だれにも、気に掛けられません。
これでは、本当に長生きしてしまいますから、
因果です。
速く生きて、早く死んだほうが、良いと、
ランボー(Arthur Rimbaud)は、考えました。
長生きが、なぜ、儚(はかな)い命なのかと、
不思議に思うかも知れませんが、
すべての生命は、ひと繋がりですから、
絶滅した生物も、絶滅したはずがありません。
個体という形や、種(しゅ)という姿が、
形や姿を、変えただけなのに、
死んだり絶滅したりと、表現するのは、
何かを、誤解しています。
個体の思い出や、滅びゆく種(しゅ)を、
保存するとかね。
ケマンソウ(紫華鬘)も、
スプリング・エフェメラルと言われながら、
しぶとく、地下生活を営んでいます。
地上から、
姿を晦(くら)ましたにすぎません。
有性生殖だけでなく、
栄養繁殖にも、手を出しています。
ただのサイコロの目の組合わせを、
温存しても、
何か、素晴らしいことがあるとは、
思えません。
脳の樹状突起のように、
枝分かれに、汎用性がなくなれば、
融通が効かなくなるだけなのに、
老化すると、
特定の枝分かれに、特定の意味を固定して、
変更不能になろうとします。
みんなと一緒に暮らさなければ、
融通が効かなくなり、
かえって時代錯誤になるのではと、
案じられます。
地上の儚(はかな)い生き方でなく、
永遠不滅の地下生活を選んだことが、
エフェメラル(ephemeral)に見えるのは、
当たり前と言えば、当たり前ですから、
ランボーも、
永遠のものを夢見て生きたのでしょう。
年を取ると、それが面倒臭くなるんです。
若いうちでなければ、できないことは、
命を懸けることなのですが・・・
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