hello :) this is Tomona, and I am here to jot down my thoughts for class representative speech at the commencement.

You are welcomed to ignore or skip. This is just made for what I feel now as a eighteen years old.

 

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18年間生きてきて、私は自分のことを少しずつ理解できるようになってきた気がします。

私は昔から、大きな目標を立てることが好きです。

周りから見れば不可能に思える挑戦でも、自分ならできると本気で信じて挑んできました。もちろん、最初から自信があるわけでも、成功する保証があるわけでもありません。それでも、やってみなければ自分に何ができるのかはわからない。だからこそ、挑戦しないという選択肢は私の中にはありませんでした。

 

これまでの挑戦を振り返ると、その多くは不安や自信のなさから始まっていたように思います。慣れない環境に飛び込むときも、自分より優秀な人たちに囲まれたときも、本当に自分にできるのだろうかと思うことはありました。

でも、私は悩んでいる時間があるのなら、まず行動したいと思っています。どれだけ考えても、行動しなければ何も変わりません。失敗するかもしれないと悩む時間があるのなら、挑戦して失敗した方が、少なくとも何かを学ぶことができます。

自信がついたから挑戦できるのではなく、挑戦することで自信がついていく。

そして、できるかどうかわからないことを、できるようにしていく過程にこそ、成長があるのだと思います。

 

私は、自分に甘える自分が嫌いです。

私にとって一番悔しいのは、失敗することでも、誰かに負けることでもなく、自分ができるはずだった努力を自分で放棄してしまうことです。

「あのとき、もっと頑張れたんじゃないか」そう思うことが、何よりも嫌なのです。

私が大切にしている考え方の一つに、時間は誰にでも平等に与えられているというものがあります。

もちろん、生まれ育った環境や与えられる機会は人それぞれ違います。でも、一日は誰にとっても24時間です。

その24時間をどう使うか。

今日という一日をただ過ごすことも、未来の自分のために使うこともできます。そして、一度過ぎた時間は二度と戻ってきません。だからこそ私は、何もしなかった時間を後悔することが怖いのです。

悩んでいる間にも時間は過ぎていく。迷っているだけでは、昨日の自分から何も変わらない。だから、考えることも大切にしながら、最後は必ず行動に移したいと思っています。

 

また、努力できる環境そのものが、決して当たり前ではないことも忘れたくありません。

学ぶ機会があること。新しいことに挑戦できること。自分の夢を応援してくれる人がいること。世界には、努力したくても、その機会さえ十分に与えられない人がたくさんいます。

だからこそ、今の自分に与えられた時間や環境を最大限に生かしたい。自分の可能性を、自分自身の怠慢によって狭めたくないのです。

 

ただ、そんな自分が時々面倒くさくなることもあります。

一つの目標を達成すれば、また次の目標が見えてくる。以前の自分からすれば十分すぎる結果を出せたとしても、今の自分はなかなか満足できません。

世の中には、自分より頭のいい人、自分より努力している人、自分より若くして何かを成し遂げている人が数え切れないほどいます。そんな人たちを見るたびに、まだまだ自分には足りないものがあると感じます。

人と比べる必要なんてない。

そう言われることもあります。でも私は、人と比べることが必ずしも悪いことだとは思っていません。

自分より優れた人の存在は、劣等感であると同時に、まだ成長できるという希望の種でもあるからです。

 

ただ、最終的に超えたいのは、他の誰かではありません。

私が本当に超えたいのは、昨日までの自分です。

昨日より今日、今日より明日。少しずつでも成長していたい。

今の自分にできることが、未来の自分にもできることのすべてであってほしくないのです。

 

そして、私はよく周りから「変わっているね」と言われます。

でも、私はその言葉を聞くと、少し嬉しくなります。

昔から、誰かと同じであることに、それほど魅力を感じてこなかったからです。

みんなと同じ目標を持ち、同じ道を選び、同じような成功を目指す。

もちろん、それが悪いことだとは思いません。でも、私は自分にしか歩めない人生を歩みたいのです。

私の理想は、綺麗な丸になることではありません。星のように、五つの角をそれぞれ尖らせていたい。

一つのことだけが飛び抜けているのではなく、自分が大切にしたいもの、興味を持ったこと、挑戦したいこと。そのどれかを諦めて丸く収まるのではなく、五つの角をそれぞれ自分の武器として磨き続けたいのです。

何かを選ぶために、必ずしも他のすべてを諦める必要はないと思っています。

欲張りだと言われるかもしれません。現実を見た方がいいと言われることもあるかもしれません。

でも、それでいいのです。

私の人生は、他の誰かのものではありません。

誰かにとっての正解が、必ずしも私にとっての正解とは限らない。

周りからどう思われるかを気にして、自分が本当にやりたいことを諦めてしまう方が、私にとってはずっと怖いことです。

もちろん、人の意見に耳を傾けることは大切だと思います。でも、他人の評価によって自分の可能性を狭める必要はない。

私の人生の責任を、最後まで背負うのは私自身です。

だからこそ、誰に何を言われても、自分が信じた道を歩み、その選択を自分の手で正解にしていきたい。

誰かに成功だと認めてもらう人生ではなく、自分自身が成功だったと思える人生を送りたいのです。

 

もちろん、毎日が楽しいわけではありません。

「疲れた」「大変だ」そんなことは毎日のように思います。思うように結果が出ず、自分の能力の足りなさに悔しくなる日もあります。

それでも、不思議なことに、それが「辞めたい」という気持ちに変わったことは一度もありません。

「疲れた」と「辞めたい」は、私にとってまったく違う言葉です。

努力することが苦しくないわけではありません。それでも、私は頑張り続ける自分でありたいのです。

 

そして、最近ふと考えることがあります。

もし今の私から、自分が好きなことや、目標に向かって努力する時間をすべて取り除いてしまったら、一体何が残るのだろう、と。

私には、夢中になれることがあります。叶えたい夢があります。そのために努力したいと思える毎日があります。もちろん、そのすべてが楽しいわけではありません。好きだからこそ悩むこともあれば、本気だからこそ悔しい思いをすることもあります。

でも、もし今ここで努力することを辞めて、好きなことまで諦めてしまったら、私の毎日は何を中心に回っていくのだろうと思うのです。

努力を辞めれば、今より楽になるのかもしれません。でも、楽になることと、幸せになることは、必ずしも同じではないと思っています。

何かに夢中になれること。達成したい目標があること。そのために毎日頑張りたいと思えること。私にとって、それ自体が幸せなのです。

だから、もしそれらをすべて手放してしまったら、今の自分を形づくっている大切なものまで失ってしまうような気がします。

私は、努力することだけに自分の価値があると思いたいわけではありません。

ただ、挑戦することや努力することは、今の私にとって、自分らしく生きることと深く結びついています。

私は、努力しなければ幸せになれないのではありません。努力したいと思えるものがあること自体が、私にとっての幸せなのです。

だからこそ、簡単に諦めたくないのだと思います。

誰かに認められるためでも、誰かの期待に応えるためでもなく、何より自分自身が納得できる人生を送りたいからです。そして、努力は必ずしも誰かに見てもらえるものではありません。試験の点数や受賞した賞など、周りの人が目にするのは、ほとんどの場合その結果だけです。

でも、そこに至るまでに何度失敗し、どれだけ悩み、どれほどの時間を費やしたのか。そのすべてを知っているのは自分自身です。

誰にも見られていない時間、誰からも褒められない努力、結果が出るかもわからないまま続ける日々。

そんな時間にこそ、その人の本当の姿が表れるのだと思います。

私にとって努力とは、誰かに自分の価値を証明することではなく、自分自身との約束を守ることです。

そして、大きな目標を持つのなら、それに見合う覚悟も必要だと思っています。

夢を語ることは簡単です。でも、その夢のために毎日努力を積み重ねることは、決して簡単ではありません。

時には目の前の楽しさより、未来のために必要なことを優先しなければならないこともあります。

人と違う未来を望むのなら、人と違う努力をする覚悟も持っていたい。

 

「報われない努力などない」

私はこの言葉を信じています。

ただ、努力すれば必ず夢が叶うと思っているわけではありません。どれだけ努力しても、望んだ結果が得られないことはあります。

それでも、努力した時間が無駄になるとは思いません。

その過程で得た知識や経験、悔しさや葛藤は、確実に自分の中に残るからです。

私は、悲しみや悔しさも、決して無駄にはならないと思っています。

努力しても報われなかったとき、自分の無力さを感じたとき、どうしても受け入れられない現実に直面したとき。その瞬間は、前向きに考えることなんてできないかもしれません。でも、私は悲しみをただ悲しみのままで終わらせたくありません。

過去に戻って結果を変えることはできなくても、その経験をこれからの自分にどう生かすかは選ぶことができます。悔しかったからこそ、もっと成長したいと思えた。苦しかったからこそ、それまで気づかなかった自分の弱さを知ることができた。

そして、その弱さと向き合うことで、少しずつ強くなっていくのだと思います。

解き放たれた悲しみは、いつか前進する力になる。

悲しみを忘れる必要も、無理に意味を見つける必要もありません。

ただ、過去の経験に未来の可能性まで奪われたくない。

私は、過去の自分が流した涙を、未来の自分が前に進む理由に変えていきたいのです。

成功することだけに意味があるのなら、失敗した挑戦はすべて無意味になってしまいます。

でも私は、そうは思いません。

失敗することよりも、失敗を恐れて何もしなかったことの方が、ずっと後悔すると思うからです。

これまで私は、自分の限界を他人に決められたくないと思って生きてきました。

誰かが「難しい」と言うことと、自分に「できない」ことは同じではありません。

もちろん、努力だけではどうにもならない現実があることも理解しています。

それでも、まだ挑戦してもいないのに、自分には無理だと決めつけたくありません。

自分の可能性を一番に信じてあげられるのは、最終的には自分自身なのだと思います。

 

一方で、私は自分に厳しすぎるのかもしれません。

もっと気楽に生きられたらと思うこともあります。何も考えずに休めたら、小さな成功にも満足できたら、きっと今より楽なのだと思います。でも、そんな自分だったら、これまで見てきた景色を見ることはできなかったのかもしれません。

だから、この性格を簡単に変えたいとは思いません。

ただ、頑張ることと、自分を追い詰めることは違うのだとも思います。

休むことにさえ罪悪感を覚えてしまう自分がいるのも事実です。でも、これから先も挑戦を続けるためには、努力する強さだけでなく、時には自分を認める強さも必要なのだと思います。

 

18年間生きてきて、私が学んだこと。

それは、人生には最初から正解が用意されているわけではなく、自分の選択に自分で意味を与えていくしかないということです。

どんな選択をしても、きっと後悔する瞬間はあります。

それなら私は、挑戦しなかったことを後悔するよりも、挑戦した結果に悔しさを感じる人生を選びたい。

誰かにとっての成功ではなく、自分が納得できる人生を送りたいのです。

私はまだ18歳です。

知らないことも、できないことも、未熟なところも山ほどあります。

これから先、想像もできないような挫折を経験するかもしれません。今信じている考え方が変わることもあると思います。

それでも、一つだけ変わらずにいたいことがあります。

自分の可能性を、自分で諦めないこと。

人生の最後に、どれだけ多くのことを成し遂げたかよりも、どれだけ自分の人生に本気で向き合えたかを誇れる人間でありたい。

そして何年後かに今の自分を振り返ったとき、たとえ思い描いていた未来とは違っていたとしても、「あのときの自分は、本当によく頑張っていた」と胸を張って言えるようでありたい。

悩んでいるだけでは、何も始まらない。

だから私は、これからも考え、行動し、挑戦し続けたいと思います。