緊張したり不安を感じることは誰にでもある。

そして、大抵の人がこの緊張や不安を悪いものととらえてしまう。

「緊張するな」とか「不安を感じる必要などない」などと自分を励まそうとする。


しかし、緊張や不安ははたして本当に悪いものなのだろうか。

緊張も不安も、自然におこる体の反応だ。決して悪いものではない。

緊張することも不安を感じることもいたって普通のこと。

だからといって、いつまでも緊張や不安を感じていたら体が持たない。

かといって無理に抑えようとすると、緊張や不安は大きくなるばかりだ。


ではどうしたらいいのか。

一旦箱に閉まってみるのはどうだろう。

緊張して当然。不安を感じて当然。

そう考えることで、「感じるな」というプレッシャーを自分に与えずにすむ。

前述した『緊張するな』とか『不安を感じる必要などない』という励ましは

「励まし」ではなく自分をさらに追い込む要素となってしまいかねない。



緊張は悪いことではない。不安は悪いことではない。

それを感じている自分も決して悪くないし

体が自然な反応をしている、言うなれば正常という証だ。

そう思えたら、その瞬間に事態は変わってくるだろう。

胸につかえたもやもやがすこし晴れて視野も少し広くなるだろう。


緊張は、緊張するなと言ったからってしなくなるものではない。

不安も、感じるなと言ったからって感じなくなるものではない。

今それをどうにかしようとしてもどうにもならないことなのだから

一度箱に閉まってしまって、今できることをしたらいい。

できることがないのなら、楽しめることをしたらいい。

楽しいことをして気持ちを明るくするだけで後々箱を開けた時に

その明るさが役に立つ場合もあるのだから。


緊張や不安はなくなるものではない。

だとしたら、それらからどう逃げるかではなく

それらとどう付き合っていくかを考え実行した方がはるかに簡単ではないだろうか。



もし緊張や不安に悩むことがあれば、緊張も不安も

それを感じる自分自身も悪くないということを思い出してほしい。

そして、緊張や不安を一旦箱に閉まってみよう。きっと何かが変わるはずだ。






自分のものさしで人を測るな。

という言葉がある。


人にはそれぞれ価値観というものがあって

時にそれは、その人の尺度となり周囲と自分を比べる目安となる。


この尺度、ものさしについて考えてみると、面白いことが見えてくる。


うまくいっている時は自分のものさしで人を測りたがって

うまくいっていない時は人のものさしで自分を測ってしまう

ということだ。


例えば、「あいつは仕事ができないやつだなぁ。」

これは自分のものさしで相手を測っている。

しかも、このような考えが出てくるときは大抵

自分の方が優れていると感じた時だ。


逆に、「あいつは仕事ができるやつだなぁ。」

これは相手のものさしで自分を測っている。

そして自分と比べて相手が優れていると感じた時に出てくる考えだ。



前者の、自分のものさしで相手を測っているバージョンについて考えてみる。


自分のものさしでは、相手は「仕事ができないやつ」となってしまうが

相手のものさしでは仕事ができないとはならないかもしれない。充分やれているかもしれない。

それを見失って、自分のものさしだけで測ってしまうと

イライラしたり相手を見下してしまったり、または自分を過信しすぎる恐れが出てくる。


後者の、相手のものさしで自分を測っているバージョンを考えてみよう。


相手のものさしで自分を測ってしまうと、たとえ全力で仕事に打ち込んでいても

そしてそれが、その時できる自分の限界だとしても

「自分は仕事ができない人間だ」と感じてしまう。そして落ち込んだり焦ったりする。



しかし、この測り方を変えてみたら、事態は良い方に一変しないだろうか。



例えば、「あいつは仕事ができないやつだなぁ。」と感じた時

相手のものさしで測りなおしてみたら、そんなことなかったと感じられるかもしれない。

要は相手の立場に立って考えてみるということ。

そうすることで不必要なイライラを感じずに済むかもしれない。


そして「あいつは仕事ができるなぁ」と感じた時は

自分のものさしで自分を測ること。

そうすることで自分のペースを忘れることなく、無理せず仕事に打ち込めるのではないだろうか。

つまり、自分をきちんと評価してあげるということだ。



測り方を変える、比べ方を変える、ちょっとしたことだが、これができたら

日々のストレスは確実に減ってくれるだろう。

仕事だけではない。日常の様々なところで、私たちはものさしを使っている。

だからこそ、それを上手に使えば日々の生活は明るくなるのだ。


自分のもつ「ものさし」。

上手く使うに越したことはないだろう。






誰にでも辛かったころや苦しかったころはある。

しんどかったころ、悩んでいたころ。

そんな時期は誰にでもあり、そんな経験を誰もがしていると思う。


そんな時期や経験のことを

「辛かったころ」「苦しかったころ」「悩んでいたころ」などとくくり

自分の思い出の箱の中にしまっておくこともひとつである。


しかし、そんな時期のこと、そんな経験のことを

改めて見つめなおすことも、良いのではないかと思う。


人は幸せや楽しさなどに関しては

その時期のことも経験も、自分から思い出して後味を楽しむ。

一方で、辛さや苦しみなどに関してはなかなか思い出そうとしない。

もちろん、これは自然なことだ。

誰だって、辛いことや苦しいことを思い出したくはない。

そんなもの後味が悪いのだから、楽しむことなどできない。

さらに、辛さや苦しみを味わっている時人は少なからず傷ついているわけで

そんなことを改めて思い出して味わってしまったら傷口が開くだけだ。



しかし、この傷というものは、時がある程度癒してくれる。

そして、時が傷を癒し傷口が開かないくらいになってきたら、その頃のことを振り返ってみる。

ただし、少し振り返ってみて、まだ傷が疼くようであれば、無理に振り返るのは危険だ。

振り返ってみて、心がズキズキしなければ、その頃のこと、その経験のことを見つめなおしてほしい。


振り返り、見つめなおすと何がおこるかというと、今まで見えていなかったものが見えてきたりする。

そんな時にとくに注目してほしいのは、自分がどれだけ必死だったかということ。

辛い時や苦しい時、そしてそんな経験をしている時ほど、人は必死に生きている。頑張って生きている。

そのことを思い出して、自分が頑張っていたこと、必死に生きていたことを味わってほしい。

そして、そんな自分を称えてほしい。


辛さや苦しさのレベルは人それぞれ。

たとえ周りが「大したことじゃない」と言ったとしても、当事者にしてみたら大したことだったりする。

だから、「あの頃はあんなことで悩んでいて、情けなかったなぁ。」とか、「若かったなぁ。」とか

そんな言葉でくくってしまわないで、「あの頃はあんなに悩んでいたけど、それだけ頑張っていたんだ。」

そう自分を称えてほしいのだ。


そんな風に思うと、「今こうしていることもあの時の自分が頑張ったから」という風に思える。

辛いことや苦しいことを乗り越えてきたからこそ今の自分があると思うと

「辛かった」「苦しかった」ということが「頑張っていた」という風に変化していく。


人生には沢山の「辛かった」「苦しかった」があり、それを全部振り返る必要はないが

その経験をまとめて一つの箱にしまってしまうことは、とてももったいないことだと思う。

辛い、苦しいは、ある意味貴重な経験であり貴重な財産なのだから。


振り返り、味わい、称える。

こうすることで、「辛さ」も「苦しさ」も「財産」に変化させられる。

財産に変化したら、それは幸せな思い出同様に後味を楽しめるようになる。

しかもその後味は、幸せな思い出以上に素晴らしいものになる。



時が来たら、一度試してみてほしい。