泥酔天使の超泥酔天獄 -16ページ目

泥酔天使の超泥酔天獄

泥酔天使のブログです。
妄想が止まらず感情が昂った時に書きます。

 

2022年4月23日、24日、2年延期になっていた福島での「ももクロ春の一大事」が開催されました。

2019年8月の夏のライブで発表されてから2年9ヶ月近く、本当に長い時間が経ちました。

 

まずは、中止にせず開催してくれて本当にありがとうございました。

私は福島県いわき市の出身で今は埼玉県に住んでいます。

東日本大震災での津波で実家が被災しましたが、幸いにも家族は無事でした。

 

私自身、仕事で今回会場になったJヴィレッジの近くに3年ほど住んでいたこともあり、とても馴染みのある場所です。

本当は見終わってすぐにでもブログを書こうと思っていたんですが、自分の中のいろいろな感情を整理するのに時間がかかり、結局1ヶ月かかってしまいました。

今回、数年ぶりに帰省も兼ねていわき市に戻り、4月22~25日の4日間滞在しました。

 

震災以降に福島県に行ったのは、震災時の救援物資の運搬や家族を避難させた時とプライベートな用事で数回、それ以外だと、れにちゃんの一日警察署長に就任した時、ももクロの青春ツアー福島(南相馬)、浪江町での十日市祭り、浪江女子発組合のライブ、ほとんどがももクロ絡みです(笑)。ちなみにいわき市でのれにちゃんのソロコンは落選し配信で見ました。

 

今までは用事があって帰る感じだったので、今回の帰省では、ライブだけではなく行きたかった場所や青春ツアーの時は立ち入れなかった思い出の場所を巡り、自分の気持ちに一区切りつけてから「春の一大事」に望みたい、そんな風に思っていました。

 

 

●4月22日(金)

この日は単独での行動。自分の地元での用事を済ますためレンタカーを借り移動。田舎は車が無いと何もできません。

 

まずは友人のお墓参りへ。

20代前半で亡くなった友人。その友人はJヴィレッジに近い富岡町で働いていました。震災前は帰省するたびにお墓参りに訪れていたのですが、震災以降は一度も行けなかったので、ずっとそのことが心にひっかかっていました。

 

久々だったためお墓を見つけられるか不安でしたが、わりとすぐ見つけられました。供えられていた花はしおれていましたが、そんなに古いものではなく、今もご家族が月命日に訪れていることが想像できました。供えてあった花を取り替えお焼香し、ずっと来られなかったことを詫びました。

 

ふと墓誌を読んで驚きました。いつからなのかもうわかりませんが、友人の命日を4日間違えて記憶していました。お墓の場所は覚えていたんですけどね。今回訪れなければ、私はずっと間違ったまま記憶していたと思います。

 

その友人が亡くなる前に私に言った言葉は「ずっと忘れないで欲しい」というものでした。

私も50歳を過ぎ、友人の2倍以上の人生を過ごしてきました。記憶も段々と曖昧になっていきます。

 

「でも、まあ、こうやって来ているんだから許してくれるよね。そもそも家族以外でこんなに来ている人なんている?30年近く前の約束守ってるの偉くね?」

 

開き直ってそんなことをブツブツ言いながら

「でも、ごめん」と謝りました。

 

最近見たある海外ドラマで、末期ガンの人が、お見舞いに来た友人に自分が大事にしていたものを渡して「これは遺品ではない。だからこれを見て私の死を思い出さないで欲しい。私を助けてくれたことを思い出して欲しい」というシーンがあり、その時に自分が長い間ずっと勘違いをしていたことに気づきました。

友人が亡くなる前に言った言葉はある意味、私をずっと縛り続けました。30年近く折に触れて「友人の死」を思い出し悲しんできました。

でもそのドラマを見て、亡くなった友人が私に忘れて欲しくなかったのは「自分の死」ではなく「自分が生きていたこと」で「自分との楽しい思い出」だったのだと気づきました。
そのことに気づくのに30年近くかかりました。
今後は、友人が生きていたこと、友人との楽しい思い出を忘れないようにしようと思います。

 

※お墓に行く途中に咲いていた花

 

墓地を後にし、次は「いわき・ら・ら・ミュウ」へ向かいました。

「ら・ら・ミュウ」はいわき市の観光物産センターです。本来ならモノノフの友人たちを案内したかったのですが、時間的な余裕が無く断念し、今回は一人で行くことにしました。

(れにちゃんが一日警察署長をした場所です)

 

目的のひとつは「ら・ら・ミュウ」での「いわきの東日本大震災展」でした。

 

 

※津波の高さは5m程度と認識していたんですが、実際は5~8.5mだったようです

 

 

 

11年経ち、心の準備をして展示物を見たのですが、想像以上に動揺しました。やっぱり自分の育った町の被災状況を知ること、受け止めることはつらかったです。

 

過呼吸気味になり、車に戻って少し休憩しました。

 

実は「ら・ら・ミュウ」に行く前に、自分の実家のあった場所に行ってきました。

最後に訪れたのはいつだったのか、その時はガレキが撤去され更地になっていたと思います。

 

ですが・・・

 

自分が来ない間にそこは「堤防」に整備されていました。

 

このことにかなりショックを受けました。

自分の家だけではなく、友人の家も親戚の家も、知り合いの家も、残っていた家も全部無くなり「堤防」になっていました。

 

きれいに整備された堤防には私の思い出は残っていません。


こうなったことは全く知らなかったし、予想もしていませんでした。

でも考えれば予想はできたはずでした。

2017年の青春ツアー福島で久之浜や四倉を通った時に堤防工事をしていました。

それを考えれば私の実家があった地域が同じように整備されるのは想像できたはずでした。

 

でも想像していませんでした。家族は知っていたはずですが、私には何も知らせてきませんでした。震災のことは家族の間でも話題にすることはほぼありません。

 

地元で生活している人たちは経過を見ていますが、私が見たのは津波で被災した姿とガレキが撤去され更地になった姿で、その次は「防波堤」に整備された姿でした。11年前と同じく「故郷を失った喪失感」を感じました。

 

将来のために堤防を整備することは必要なことで、対策が進んだことのあらわれなのはわかるのですが、やっぱりショックで受け入れることに少し時間がかかりそうです。

 

地元の人たちは良くも悪くも、変化していくことを受け入れるしか方法はなく、生活するためには前を向くしかありません。久しぶりに戻ってきて、震災前の故郷を思い出し、整備された故郷を見て悲しみの感情が湧いてきてしまう、そういう自分は「外部の人間」なんだと強く実感しました。

 

私は11年前、震災直後の町の様子をほとんど写真に撮れませんでした。そのことをずっと後悔していました。記録として残すべきだった、自分が見た光景を、自分が育った町の変わり果てた姿を、他人が撮った写真や映像ではなく、自分の撮った写真で、自分自身の心に刻み込むために。

今回、整備された町を見て、また当時のことを後悔しました。

 

その後、気分を落ち着かせるために高台にある公園に行きました。帰省するといつも行く公園です。

公園の潮見台に行く途中の芝生にタンポポが咲いていました。

 

 

潮見台から海をしばらく見ていました。

海育ちなので広大な海を見て磯の香りを嗅ぎ、波の音を聴くと安心します。

 

今回、実家のあった場所に行ってみようと思ったのは、海の様子を動画で撮っておきたかったからです。時々たまらなく故郷の海が見たくなる時があります。磯の香りは記録できませんが、海と波の音は記録できました。

 

 
この公園に来ると山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」が聴こえてきます。大事なものを失った人が悲しみに折り合いをつけようとする曲です。いつかフォーク村で聴きたい1曲です。
 
※山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」

 

私の子供の頃の遊び場は海か砂浜で、どこに行くのも移動は自転車でした。ももクロが「ココ☆ナツ」のMVを撮影した当時の常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)にアイドルが来ると、友達と自転車で行っていました。ももクロの「Re:Story」のMVはまさに私の子供の頃の姿でした。

 

ももいろクローバーZ「Re:Story」

 

道路沿いに見えていた海が今は高い堤防で囲われて見えません。

慣れ親しんだ海に自分の育った場所が奪われる、皮肉なものです。

 

気分を落ち着かせてから展示会を見たつもりでしたが、いろんなものがフラッシュバックしてしまいました。

 

車の中で休憩して気分を落ち着かせたあと「ら・ら・ミュウ」に戻り、館内のお土産コーナーを見て回ると、倒産したと聞いていた「凍み天」の店を見つけたので購入し食べました。

(青春ツアー福島の時に百田さんが店を訪れました)

 

 

その後はいわき市内の神社を巡りました。

趣味で御朱印集めをしているのですが、埼玉に引っ越ししてから始めたので地元の神社の御朱印は持っていません。なので「春の一大事」の成功祈願も兼ねて参拝してきました。

 

 

 

神社に参拝した時にカエルの鳴き声が聞こえてきました。いつ以来だろうと懐かしくなり録音しました。

 

 

ちなみに私は23日に「きてくんちぇパーク」に出演予定の「二丁目の魁カミングアウト」(通称:二丁魁)が好きで、その中でも「カエルのうた」という曲が大好きなので「これはもしかして明日聴けるのかも」と思いました。そんなに歌う曲ではないんですけどね。

 

この曲「忘れたくないのに忘れていってしまう。でも忘れない、君のことだけは・・・」という内容の曲なんですよね。

 

二丁目の魁カミングアウト「カエルのうた」
 
 

自分の気持ちに一区切りつけてから「春の一大事」に望みたい、そんな風に考えて、一日かけ訪れたいと思っていた場所を巡りましたが、思いの外、衝撃が強く、一日で気持ちの整理はつきそうもないというのがこの日の感想でした。

 

自分なりに震災と向き合うことを考えたつもりでしたが、そんな簡単に整理がつくものではなかったです。

でも、時間が経てば乗り越えられるとも感じました。ここからが本当の始まり。

 

「春の一大事」の後に(JA浪江のライブもありますが)自分がどんな気持ちになっているのか。

この日はガガガSPの「光」とソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」を聴いて眠りにつきました。

 

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット「満月の夕」

 

※ソウル・フラワー・モノノケ・サミットはソウル・フラワー・ユニオンが主軸となって結成されたチンドン型式のユニット
 
ちなみにソウルフラワーは女川町とも深い関係があるんですよね。
ももクロともお友達の女川の「高政」の高橋さんと親交があり、以前はCMで歌っていました。
 

このインタビュー記事を読んで欲しいです。

モノノフにも知られている女川の高政の高橋さんとの出会いの話が載っています。

 

 

 

ソウル・フラワー・ユニオン「キセキの渚」
 
私は女川町での「復幸祭」に行き、ももクロのライブを見た後に新幹線で移動し、夜は渋谷でのソウルフラワーのライブにも行ったことがあります。ももクロ仕様の高政の笹かまを差し入れしたのですが、食べてもらえたのかは不明です(笑)。
 

 

震災直後何度も聴いたガガガSPの「光」という曲の歌詞の一部を載せておきます。

 

流れ続ける時間の中、僕はあまりにもちっぽけで

なんとなく過ぎていく日々に体を預けるだけなのか

無理してここまでやってきた

これからもずっと同じだろう

それでも何かを信じたい、心の奥の声

モノクロームの毎日をいつか、鮮やかに塗りつぶす

いつかは夢見てきたあの場所へ、たどりつけるように

 

4月23日、24日、やっとたどりついたあの場所で、モノクロームの日常が鮮やかに塗りつぶされますように...。

 

 

②福島県での「ももクロ春の一大事」を終えて に続く