泥酔天使の超泥酔天獄 -14ページ目

泥酔天使の超泥酔天獄

泥酔天使のブログです。
妄想が止まらず感情が昂った時に書きます。

 

前回のブログの最後に「何かが引っかかってる」と書いたことについてはひとまず置いておいて、4月25日の出来事について書きたいと思います。

 

 

●4月25日(月)

 

この日は遠藤ミチロウさんの命日でした。

後で気づいたんですが尾崎豊さんの命日でもあったのですね。

 

遠藤ミチロウさんは福島県出身で東日本大震災以降、音楽で福島を何とかしようと活動をしていました。

ミチロウさんに「ももクロの春一を見て欲しかったな」、そう思いました。

 

そして尾崎豊さん。22日にお墓参りした友人が尾崎さんの熱狂的なファンでした。

尾崎さんの命日が近いことを意識せず、友人のお墓参りした時に尾崎さんの曲を流して聴かせたので、ちょっと驚きました。

 

 

この日のメインは浪江で行われる浪江女子発組合の「居残りライブ」への参加です。

そして、その前後で東日本大震災の資料館等の施設を見学する予定でした。

 

ただJA浪江のライブの時間とピックアップした施設の営業時間、そして友人たちそれぞれの帰宅の電車、バスの時間を考えるとかなりタイトなスケジュールでした。

 

早朝、レンタカーを借り、友人たちと合流し、まずは富岡町にある「東京電力廃炉資料館」に向かいました。

 

 

※震災関係の資料館のまとめ

 

 

 

 

今回は多くの人がライブに参加するだけで時間がいっぱいいっぱいだったと思います。少しでも福島県に興味を持った方、今回は行けなかったけど、時間を見つけて行こうと思っている方のために参考になりそうなものをまとめておきます。ゆっくりと福島を訪れて下さい。

 

※資料館等のパンフレット&缶バッジ

 

 

●東京電力廃炉資料館(富岡町)

 

「東京電力廃炉資料館」は事前予約制で、60分と90分のツアー形式でスタッフの方が説明してくれます。東京電力福島第一原子力発電所の廃炉への道はまだまだ遠く40年はかかると言われています。

また直近の問題としては「処理水」をどうするか、という問題があります。

 

※富岡町「東京電力廃炉資料館」

 

 

 

 

今回ライブに参加した人は実感したと思いますが、Jヴィレッジから浪江町までは結構遠く、車で40分程度かかります。

また多くの人が今回利用したいわき駅からも車で1時間30分程度かかります。

電車はありますが本数が少ないため1本逃すと1時間以上は確実に待ちます。

ですから移動を伴う計画は余裕をもって立てることをおススメします。

 

 

●浪江女子発組合の「居残りライブ」

 

・浪江町地域スポーツセンター駐車場

・開場11時30分

・開演12時、終演13時の予定

・オールスタンディング

 

この日は快晴。驚くことに1300人が参加。

入場で30分押し、ライブ開始。

 

○JA浪江セットリスト

Overture 〜浪江発の風にのって〜

①なみえのわ

<MC自己紹介>

②桜梅桃李夢物語

③またキミと。

<MCうけどん>

④いつかまた浪江の空を

⑤それぞれのハタ

⑥ミライイロの花

⑦ハレノヒの足跡

〈アンコール〉

⑧あるけあるけ

⑨つながる、ウンメイ

 

久々のオルスタライブ、しかも快晴(笑)。

結構足にきましたが楽しく見れました。

それにしてもあーりんは絶好調で元気でした。

 

お見送り会で春一で使ったうちわにあーりんが反応してくれました。

 

あーりんは、ももクロとして色と音を失くした町を、2日間かけて、いや2年以上かけてカラフルに彩ってくれた後に、JA浪江として「ミライイロの花」の種をまいてくれました。

 

浪江女子発組合「ミライイロの花」(一部歌詞抜粋)

はじめよう 今ここで この鼓動を数えて

種を 蒔いて 美しい 瞬間を奏でよう

たとえ 胸の 針が壊れても

花は 咲いて 時間(とき)は 進み出す

動きだせ その先へ 揺らぐ針刻んで

時間(とき)を 超えて 咲き誇る ミライイロの花

咲いた笑顔が 道を照らすよ

駆け抜けた未来(さき) ミライイロでしょう!

 

※浪江女子発組合「ミライイロの花」

 

※ドキュメンタリー番組:浪江女子発組合・佐々木彩夏

『思い出す大切な場所 〜福島県・浪江町〜』前編

 

※ドキュメンタリー番組:浪江女子発組合・佐々木彩夏

『思い出す大切な場所 〜福島県・浪江町〜』後編

 

とてもいいドキュメンタリー番組です。

浪江町役場の大柿さんの「10年経っても変えることができなかった」という言葉が心に染みました。

 

 

ライブ自体は楽しかったもののお見送りまで終わったのが14時頃。

当初は「道の駅なみえ」で食事をして買い物をする予定でしたが道の駅がモノノフで激混みだったため、また屋台で軽食を購入し少しだけ休んで出発することにしました。

 

この時点で帰りに寄ろうと思っていた資料館や施設に寄るのは難しいと判断し、いわき駅に向かうことにしたのですが、結局時間に余裕が無く、まともな食事をとれないままいわき駅で解散しました(笑)。

 

もう少し時間に余裕があれば寄りたい所、紹介したい所があったのですが今回はここまで、残りは次の機会にしましょうとなりました。

それが心残りです。

 

とりあえず食事の画像あげときます。

 

 

 

 

 

●今回気になったこと

今回ちょっと気になったことがありました。

それは「道の駅なみえ」についてです。

私は23日の夜桜を見る会と25日のJA浪江のライブの後に行ったんですが、どちらも激混みと長蛇の列で食事もお土産の購入も諦めました。

 

私は今後も帰省すれば行けますが、今回遠征してきた人たちでいろいろ購入しようとしていた人たちには、不満が残ったと思います。

欠品も多かったというツイートも見ました。なかなか来られる場所ではないので不満に思う気持ちはわかります。

 

でも...。

 

※道の駅なみえ営業時間延長

 

「道の駅なみえ」の通常の営業時間は7時~18時で、営業時間を延長して精一杯頑張った結果であの状態なのです。

※現在の浪江町の住民の数は1200人程度、JA浪江のライブに参加した1300人の大半が道の駅に寄ったと推測されます。

 

この件に関して私がツイートしたものを載せておきます。

 

 

これは「道の駅なみえ」のことだけではなく「春の一大事」にも言えることなのですが、高校の文化祭で例えるなら、例年全学年で準備していたものを、今年は1年1組だけで準備した、そんな状況だったのだと思います

 

例年なら2日間で3万人、今回は2日間で1.7万人のお客さんが来ました。現地を知るものからすれば精一杯対応したと思います。

 

じゃあ開催地に立候補するなよ、そういう意見もあると思いますが、福島県で「春の一大事」を開催したこと、それを楢葉町、広野町、浪江町が合同で主催したことは、福島県にとっても、ももクロ側にとっても大きな意義があったと思います。もちろんモノノフや他の自治体にとっても。

 

小さな自治体が合同で主催したという実績の影響は大きく、これまで諦めていた自治体も考え直すかもしれません。

多くの自治体に門戸が開放されたと思います。

 

力不足な点は数多くあったと思いますが、2度の延期に諦めず実現させたことに対して、今回開催に向けて尽力した全ての関係者の方たちに最大限の賛辞を送りたいと思います。

 

 

●伝えたいこと

2日間の春一のライブを見終わった後に「ライブには満足したが、何かが引っかかっている」と書きました。

 

それは何なのか。

 

今回数年ぶりに福島に帰省し、思い出の場所やいわき駅から浪江町を友人たちと一緒に車で移動しました。

その時に感じたのは、当初自分が多くのモノノフの皆さんに見て欲しい、知って欲しいと思っていたことをわかってもらえたのかということでした。

 

帰省しなかった数年で各地域の整備が進んでいました。それは本来うれしいことのはずなのですが、元の姿を知らない人にとってはただの整備された場所にしか見えません。

 

以前、帰還困難区域を通った時に、いたる場所で見た帰還困難区域の表示や封鎖していたゲート、そして積み上げられていた除染土などが大分少なくなっていました。

 

きれいに整備されていくことで、見えなくなってしまうものがあるのではないか、そう思いました。

一見すると他の被災地と同じように復興しているように見えてしまうことへの不安。


帰還困難区域は徐々に解除されてはいますが、人が戻り生活するためには、まだ大きな障害が残ったままです。

 

今回、ももクロの皆さんは歌とダンスでオモイを伝えてくれました。

ライブは楽しく、素晴らしいものでした。

 

でも...。

 

ももクロの皆さんの言葉で「震災」について語って欲しかったというのが、福島県人としての私のオモイでした。

私がそう思ったのは、整備が進んだことで「現地を見てもらえればわかる」と考えていた「福島県特有の問題」が見えにくくなってしまっていたからです。

 

今回、多くの人は震災関連の資料館等にまで足を運ぶ時間的な余裕は無かったと思います。

会場のJヴィレッジ、いわき駅周辺、そして道の駅なみえ、行けたのはそのくらいではないでしょうか?

 

せっかく福島に来たので震災関連の資料館等に行ってみたいと考えた人はそれなりにいたと思います。

もし、きてくんちぇパークに「東日本大震災関連の展示ブース」を設置されていたら、多くのモノノフの皆さんにも見てもらえたのではないかという気持ちです。

そういうものを設置しなかったのはなにか理由があるんだとは思いますが・・・。

 

現在埼玉県に住んでいる私は「外部の人間」です。

だからこそ外部の人たちに福島県のことを知って欲しいと思いました。

 

ですが、地元の人たちは整備された所を見て欲しいのかもしれません。

考えているより楽しい場所だから気楽に遊びに来て欲しい、そういうオモイなのかもしれません。

 

福島県から戻り、しばらく自分の感情がうまく整理できませんでした。

自分の感情は独りよがりなものなのかなと思ったり、「ライブは楽しかった。サイコーだった。でも・・・」そういう感情がずっとグルグルしていました。

 

じゃあ、ももクロの皆さんがなんと言えば自分は満足だったのか、そう考えた時に「前もこんな気持ちになったことがあったよな」と思い、その時に思い出しました。以前ずっとモヤモヤしていた時に、その感情を晴らしてくれた言葉を。もう答えを出していてくれたことに気づきました。

 

『人の痛みは100%はわからないけど、わかろうとすることが大事』

 

れにちゃんが2019年の福島県いわき市でのソロコンで言った言葉です。ずっと自分がうまく言葉にできず、モヤモヤしていた感情の答えを端的に言い表してくれました。

 

聞いた瞬間に、長い間自分ではうまく言葉にできなっかった感情だと思いました。以来、自分の座右の銘にしているくらい心に染みた言葉でした。それなのに忘れていました。

 

私は急ぎ過ぎていたのかもしれません。

多くの人に福島のことを知って欲しいという気持ちが強過ぎたのだと思います。

 

今回の福島県での「春の一大事」が福島をわかろうとするきっかけになればいいのだと思います。

そう思っていたはずなのに、いつの間にか前のめりになっていました。

 

それぞれやれることをやる。

 

ももクロの皆さんは歌とダンスでオモイを伝えてくれました。

私にできることはなんだろう、そう考えた時にこのオモイを文章にして伝えることだと思いました。

 

福島県での「春の一大事」が発表された時、多くの人が「よかったね」と声をかけてくれました。

そして今回も現地でわざわざ挨拶に来てくれた人たちがいました。

「福島で会えてよかった」、そう言ってくれました。

 

「わかろうとしている人たち」はいっぱいいました。

それはわかっていたはずなのに。
 

私にとって濃密すぎる遠征でした。いや帰省か(笑)。

2019年の夏に発表されてからずっと待ち望んでいた地元・福島県でのライブ。

待った期間が長すぎて感情の整理がつくのに1ヶ月かかりました(笑)。

 

多くのモノノフの皆さんはもう、ももクロの14周年(15年目)をお祝いし「祝典」モードです。

大分遅れましたが、この文章を書くことでやっと私の「春の一大事」が終わった気がします。

 

私は震災直後の途方にくれている時期にももクロにハマりました。

それから11年が経ち、自分の故郷でももクロがライブをしてくれて、多くのモノノフが来てくれました。

ちょっと出来過ぎなストーリーだと思います。

 

楽しかった記憶は時とともに薄れていき、辛い記憶は残りやすいです。そして年齢とともに全ての記憶は曖昧になっていきます。

だから時々、記憶を整理する必要があるのかもしれません。

 

忘れちゃいけない記憶を忘れないために。

 

今回の福島でのライブに参加するための帰省は、自分にとって「忘れること」、「忘れてしまうこと」、そして「忘れないでいること」、「記憶してしておくこと」を改めて考えるきっかけになりました。

 

また、「わかって欲しいと思っている人」にとっては「わかろうとしてくれている人」がいるだけでも大きな力になります。

そのことを忘れないようにしようと思いました。

 

2022年4月23日、24日(あと25日)は自分にとってとても大切な日になりました。

 

 

今年2022年の元旦の「生さだ」で、ももクロの皆さんが帰った後に、さださんにハガキを読んでもらえました。

 

 

ももクロは福島県に「笑顔の花」を咲かせてくれました。

そして今は祝典ツアーで全国を回っています。

福島だけでなく全国の皆さんにオモイを届けに行っています。

全国のモノノフの皆さんが笑顔になれることを願っています。

 

 

最後にこの曲を

 

※サンボマスター「I love you & I need you ふくしま」

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

【完】