自分の思考の整理用にアメブロを開設した。
つらつらと、自分の考えていることを書き連ねて行こうと思う。
ただ、自分の思考がとっちらかっているのは理解しているので、一つ、主題を決めてそれに沿って考えて行こうと思う。
今日のテーマ
「ブログのきっかけ」
最近、生きづらいと感じる事が増えた。
支援職に入職して一年、自分が普通だと思っていた家庭が支援対象だと知る。
一度知ってしまうと、なんでもない自分の家庭が私に牙を向けてくる。親の機嫌を損なわないようにと皿を洗うことが苦痛になった。妹たちは信頼できない。あの子たちは昔から母を不機嫌にさせるから。だから私は笑う。
ご飯を美味しいと食べて、笑顔で、いい子にする。母が遅ければ食事を作る。母が何故作っていないのかと聞くから。
妹は要領が良い。母が何故作っていないのかと聞いても、面倒臭かったからと答える。それで許される。私にはできない。責められている気分になるから。
なぜ責められている気分になるのか、それも自分を振り返って考えていきたいところだけれど、一日30分以内と決めている思考の整理の場で行うには少し壮大な気もするので、また後日それだけを整理したい。
そんな家庭で育っている。
特に暴力や虐待があったわけではない。ただ、妹が何度か虐待で保護されていることを考えると、私にもそれは適用されるけれど、私は虐待と思っていないので虐待では無いと思う。
ただ、支援職で働いているとその考えにも疑問を抱いた。
曰く、どんな理由であれ母から暴力を受けてはならないらしい。
曰く、子は母の顔色を伺わなくても平和に生活出来るべきであるあしい。
曰く、姉だから妹の面倒を見ることは虐待らしい。
その新しい常識が支援をする中で少しづつ自分に刷り込まれた。
今、母の顔色を伺うことは、過去に自分がそうして母の機嫌を損なわないようにと生きてきたから。
そう考えると、分からなくなった。
自分は母を支えるために存在していて、母を安心させるために安定した職に就職して、先のことが分からない妹たちのことで悲観に暮れる母の隣で寄り添うことが私のアイデンティティだと思っていたから。
私から母を取れば何を残るというのだろう。
そして、それが「依存」であり「ヤングケアラー」という言葉で表されることを知った。
勿論、自分がそれに当てはまるのかということには疑問もある。私は別にやりたくないとは思ったこともないし、逃げる道はいくらでもあってそれを選んでいるのだから。
ただ、最近のもやもやとした気持ち、不安定な思いを一つづつ整理しなくては行けないと思った。
自分はなぜこのように考えていて、なぜこういう生活を送っているのか。
自分がわけも分からずに流している涙を言語化しなければ自分は前に進めないと思った。
私は昔から思考の整理に文字をよく使った。あのこのどんな所が嫌だったのか、自分がどうすればよかったのか、そんなことをノートに書き連ねていた。
今はノートに書き連ねるつもりはない。
鉛筆を持つには、自分の思いは随分と重くなってしまったから。それに、社会人には時間もないのだ、なんて二年目の若造は言ってみたい年頃でもある。
ノートには書きたくもない、かと言ってネガティブな言葉をメモ帳に残したくもない。
そんなこんなで、アメブロを開設した。
私は自分の事を表現するためによく小説を書いている。
だからもしかするとこの文章も小説地味ているかもしれない。言い回しも長くて面倒かもしれない。けれど、自分が一番適切に感情を表現できる方法がこの文章だと思っている。
また試行錯誤しながらにはなるけれど、この自分の感情の整理をしていきたいと思う。