実は私は、二十二、三歳のころに一度、ホワイトニング治療を受けたことがあります。


当時も「このグレーの歯をなんとかしたい」という思いで、勇気を出して通いました。


けれど、どれだけ頑張っても、私の歯は思ったようには白くなりませんでした。


「やっぱり私の歯は無理なんだ」

そのとき私は、一度ホワイトニングを諦めています。



私の歯は「テトラサイクリン歯」と呼ばれるものでした。


小さいころに飲んだ薬の副作用で、歯がグレーになってしまうタイプの歯です。


これは私の生活習慣やケア不足が原因ではなく、私には全く非がないことでした。


そのことを、いつどこで知ったのかは、はっきり覚えていません。


ただ、「薬の副作用」という言葉を聞いたとき、私の中にとても強い怒りが湧き上がったことだけは、今でもはっきり覚えています。


なんで私が?


どうして、何も悪いことをしていない私の歯が、こんな色にならなきゃいけなかったの?


人目を気にせずにはいられないことに傷つきながら、自分を守るために、小さくなって生きてきた私。


小学生のころから、笑うことも写真を撮ることも苦手になって。


その全部のきっかけが、自分では選べなかった薬の副作用だったなんて。


そう思うと、悔しさとやるせなさと怒りがこみ上げてきて、どこにぶつければいいのか分かりませんでした。



子どものころの私は、母に対しても強い恨みのような気持ちを抱えていました。


私の歯がグレーになったのは、乳歯から永久歯に生え変わるころ。


そのタイミングで父が亡くなって、母はそれどころではない状況だったのだと思います。


でも当時の私は、そんな事情を深く理解できる年齢ではありませんでした。


ただ、自分の歯が目に見えて変わっていくのに、その不安や怖さに誰も寄り添ってくれなかったと感じていました。


大人になってから、一度目のホワイトニングの費用を母が払ってくれたときも、私の中には感謝と一緒に、消化しきれない感情が残っていました。


「どうしてあの時、寄り添ってくれなかったの?」

「どれだけつらかったか、分かってほしかった」


そんな思いが、心のどこかで渦を巻いていました。


それでも、時がたち、私自身が母になってみると、少しずつ見え方が変わってきました。


父を亡くしたあとの母は、本当に必死だったのだろうということ。


私の歯のことに気づいていなかったわけでも、わざと無視したわけでもなく、ただ「そこまで手が回らなかった」ほど、追い詰められていたのかもしれないということ。


でも、あの時の私は、それを理解できませんでした。


そして、あのとき、そばにいてほしかった「誰か」になってあげられるのは、もしかしたら今の自分なのかもしれない。


そう思えるようになっていました。


そんな気持ちが、私をホワイトニングへ向かわせてくれました。