2014年の初夏ごろから我が家は誰かしらが病院通いをしいられている。
不幸の始まりは、、日本のサッカー遠征試合で盛り上がったフロリダタンパ。
オタクな長男もこのときばかりはサッカー一色、

調子に乗りすぎ、右手首骨折。幸い、ひびが入って3週間のギブス

その後完治した喜びもつかの間、2014年夏の終わり、

長男と暴れていた次男、左手首骨折 幸いこれもヒビ程度で済んで3週間のギブス。

秋も深まるころ、医者嫌いの旦那が足の痛みや体の痛みを訴え痛み止めをいただいたが、その副作用(?)で精神不安定に。。 体の痛みは20年前の大事故の後遺症だが、年々年とともに痛みがひどくなっていた。

精神不安定で、Aggressiveな旦那。極めつけは義父の他界により、よりいっそう精神不安定になりながらも、何とか年をこした。

春先、、主人が指先を怪我して病院へ。そのとき高血圧と診断され即病院江へいくようにいわれた。
高血圧の病歴がない彼にはショック。きちがいのように血圧をはかりモニターする毎日。

Easterのころ、、私は肩甲骨の辺りとひじに激痛がはしり、首の骨、Disc C5とC6のヘルニアと診断されそれから一ヶ月ほど痛みに悩まされた。

ちょうどそのころ、次男の足が激痛を起こし、歩くこともままならず医者に駆け込む。
なんと、極度の偏平足からくる痛みで、痛みがなくなるまで補助ブーツなるものをはくはめに。
結局彼は一ヶ月この痛みになやまされながらも、、今はインソール入りのOrthopedics認定運動靴を履いて走り回れるようになった。

また同じころ、、、私と次男の状態が落ち着き始めたころ、主人が呼吸困難を訴え、ERにかけこむ。結果はなにもわるいところはないからおそらく不安から来る呼吸困難だろうと医者は診断。
そして、精神安定剤、パニックを抑える薬をもらう。

鬱??  ありえん!

ここでまた試練が、、、呼吸困難は頻繁にやってくる。そのたびに精神安定剤、パニックを抑える薬をのむのだが、、彼自身、酔っ払い状態というか、ねれなくなり、私にも影響がでだす。

夜寝れない、お互い寝れないなんともいえない日々

医者に欝っぽいといわれ、、支えようとしたものの私も結構精神的にきてしまい、彼をせめてはいけないとおもいつつ、自分の気持ちの持っていくところを失った私は彼をせめてしまっていただろう。

トイレに行った主人はバランスをうしない転倒することもあった。

今年の結婚記念日は私の出張と重なりお祝いはまた今度となってたのだけど状況が状況だけにそれどころでもなかった。私が出張に出る朝、彼はまた転倒した。

薬のせいなんだけど、、なんともみじめ。 変になるなら飲むなといったぐらい。

私たちががやがやしてる音に泊まっていた義母がおきてきた。最初は息子の姿にとまどっていたが、、いきなり何をおもったか、、

「Oh Well, Happy anniversary guys!!」と笑顔でいうからびっくり。

この人もおかしくなったかとおもったが、彼女がKYなのはみんな承知なところ。

旦那に変化がみられたのは先週、、、主人が、
「どうも高血圧の薬をのむとお腹にガスがたまりいきぐるしい。そういう時パニックになる」というのだ。

それを医者にうったえ、高血圧の薬の量を減らした。彼の血圧はそれでも平常をたもってるので減らしても大丈夫。減らし方が、、100mgから10mg。
ほとんどないじゃないか!!!

もういらないんではないか?

この薬の量を減らした後、我が家に少し平穏がもどった。

ということは私のツレは鬱ではなく、、、、、薬の副作用。。




医者でもわからないものなんだなぁー
患者もわからないからどういうことをいっていいのかもわからないし、正しい質問ができない。
何回か試してみてわかることもある。
医者と患者のコミュニケーションがいかに大事かがわかる。
最近の医者は患者の目を見ない。
しっかり向き合って患者の意見をきくべきだとおもう。
そして患者も自分の症状をClearに医者に伝える努力も必要なんだろうなぁー

この2ヶ月私たち家族にとって過酷だった。

来月は4年ぶりの私と息子達の日本帰国がせまっているだけに精神不安定な主人を残していくのは不安だったが、どうも落ち着きをとりもどしたもよう。

ERすごいたかかったけど、、精神安定剤におかされたハイ状態の主人のコントロールもつらかったが、ま、今思えばこのぐらいですんでよかった。

私はただ平穏にいきていきたいだけ。
少し日本で充電してまた気持ち新たに前進しましょう!