「Chao Baby! 」
この言葉を最後に義父が、永久の眠りについたのは昨日の火曜日。

先々週の土曜日義父危篤、家族全員集まるように連絡を受けて、私達家族も義父がいる主人の姉の家にむかった。


近年体調が優れないことがあったが、大事に至る病気ではなかったのに、、、
結果的にこちらで大丈夫と言われてたものが実は違っていたことがのちの検査で発覚。その後他の場所にも病魔がすみついたのだ。

私の義理の両親は冬から春にかけフロリダで、夏場は北にすむ いわゆるwinterbird。今年の6月いつも通りフロリダを出て北へ向かう途中のテキサスで体調が優れず待機していたのだが、結局北へは帰らずじまいとなってしまった。

義父に再会した時はすでに寝たっきり状態で、いつもふくよかだった義父が痩せて小さくなったように感じた。それで気分のいい日は起き上がり少し外の風にあたったりしていた日もあった。

ある日私が部屋をのぞくと「Hi! どこにいたんだ?」と話しかけてくれる日もあった。家族でいっぱいだったので私もいたんだけどうもれてたんだよねー

夜は4人がかりで世話をする。なんせもう自分で体を動かせない状態だった。そんな中でも頑固親父 自分の意思をしっかり告げてたようだ。体を持ち上げようとする私の主人に向かって、「だめだ!なにやってんだ!」とどなったらしい。主人もあきれてたけど、怒鳴ってるぐらいなら大丈夫といってたぐらいだ!

そんな義父の症状が悪化したのが私と息子達が帰る日の朝。結局病院にて「see you soon !」といってさよならをした。義父は痛みをこらえながら私の息子達に 「love you always」といってハグをするのが精一杯。 息子達はイマイチ実感がないようだ。特にgrandpa好きなチビはおちょけてみせていた。

そして家に帰ってきて悲しい知らせをきいたのは火曜日の午後。主人が私と話した10分後折り返し電話をしてきた。
泣きながら報告する主人。Step Fatherではあったが主人が物心つく8歳ぐらいから父親として彼の横にいたのは義父である。けんかはたえなかったが、、それも愛情の一部。

なんでも最後はほぼ意識なく、大きく息を吸ったかと思うと次の瞬間息途絶えたようだ。
その後の顔はすごくおだやかだったという。

亡くなる前の晩かすかな声で娘に「Chao Baby!」とささやいたらしい。

なんかお義父さん粋である。
この言葉にお義父さんの人生はそれなりに満足したものになったのかなと思った。
むろん、急激に襲ってくる病にたいしては無念な気持ちもあったであろう。しかし、最後の2週間、家族みんなに会いたい、孫に会いたいという願いが叶い、みんなに囲まれ、それぞれの家に戻ってく孫達を見送り終え、安心したのかもしれない。

延命を拒否し続けたにもかかわらず、子供達、孫達に会うまではと少しの治療を続け痛みに耐えたお義父さん。最後は自分のかわいい娘にささやいた言葉はいろんな意味でいい人生だったといっていたのかもしれない。

何が本当にいいのかわからないけど、私も延命よりは、自分の人生を受け止めて最後の日々を送りたいなと思う。

お義父さんは本当に頑固で気難しく、これと思ったら信念を曲げない人だった。
時にそれは私達にとって困難で、討論も耐えないときもあった。でも彼はいつも私達を支えてくれた。
そして私にとって、主人の家族で唯一、面と向かって仕事の悩みとか、主人への文句とか聞いてくれる人だった。私のことをわかってくれていたんだと思う。

毎年の子供の誕生会や、ホリデーイベント、クリスマスを一緒に長年すごしてきたので、これから彼のいないイベントはなんともさみしいものになるだろう。我が家のチビはグランパの死をうけとめてるものの、考えると頭が痛くなるし、今少し気持ちが変でよくわからないという。おそらく長男も同じであろう。

今年のクリスマスは、グランパが大好きだったクリスマスビレッジデコレーションを盛大に息子達とすることにした。彼が残してくれたデコレーションの数々なアイテムとともに。

チャオ! ダディー

これからも私達を見守ってください。ありがとう!