先日、父を他界に送りました。
お医者さんから連絡するよう言われ、
姉弟それぞれ仕事が終わってから
夜の病院に駆けつけました。
父の最期に見せた
私たち子どもへの思いやり。
呼ばれてから私たちが行くまでの
間に容態は安定していました。
だから病室で会った父は
普通に話もできたし
何なら軽く冗談も言えるくらい。
ちょうど私たちが話したのを最後に
翌日からは焦点もあまり合わなくなり
会話もままならず、という感じだったそう。
子どもの前ではしっかりせねば、と
父なりに、
親の威厳を保ってくれたのでしょう。
そうとしか思えず、手を合わせています。
私は当たり前だけど生まれた時から
ずっと一緒だったし、特に小さい頃は、
父は私のヒーローだった。
祖父母っ子だった私にとって、
道を挟んだすぐ前に住んでいた祖父が
目の前にいる現実のヒーローだったとすれば、
大好きだったけれど仕事の都合で
あんまり会えない父は
憧れのヒーローといったところかな。
父は板前だったこともあり、
もとの性格もあり、
休みは少なくてあんまり会えないし、
会っても言葉は少ない。
けれども愛は感じる、
そういう感じの人でした。
普段は決して台所に立たない父が、
我が子の頼みとあらば、
お弁当用にお寿司を握ってきてくれる
(家ではなく店で調理してくる、
そこは、彼のこだわりだった模様)。
それを学校に持って行くのが
幼いながらにとても誇らしかった。
酒屋の息子で4兄弟なのに
父以外は誰もお酒を飲まないから、
私が大人になって一緒に飲むのを
とてもとても喜んでくれた。
いつでも自分の意見を持つことの
大切さを教えてくれたのは、
他でもない父だった。
ビートルズが大好きでド世代で、
若い頃にはロン毛に髭もじゃ姿。
祖父に「その髪を切って髭を剃るまで
家には入れん!!!」と
怒鳴られたらしい笑。
小学生だった私にカタカナで
すべて歌詞を書いて渡してくれ、
一緒に歌ったりしました。
まあ、何せあの世代の割に
ずいぶんとエキセントリックな父でした。
父を思い出すと
そういう記憶しか浮かんでこない。
病に倒れてから12年、
最後は1年半の入院生活。
いつかはと覚悟していたことだけど、
心の準備は出来ていたから
突然すぎてびっくりとか
ショックが大きすぎてとか
そういうのはないけれど、
じんわりと、寂しいなーって、
やっぱり思う。そんな感じです。
お父さん、ありがとう。
おつかれさまでした。
ところで、
四十九日にお坊さんにあげていただく
お経によって初めて、
亡くなった人の魂は位牌に入るそうです。
真新しい父の位牌は、これから仏壇の中で
他のご先祖様と一緒に並ぶことになる。
それまで大事に守ってきた仏壇の中に、
今後は父本人がいるというのは
なんだか不思議だなあ。
本人がもし生きていたら、というと
ものすごく矛盾しているけど、
どう思うのかなー。
こうして巡っていくんだなー。。
さて、子ども達。
すごいな、小学生、、。
大人は会っていきなり相撲とかしない笑。
会ってすぐ話題を見つける代わりに、
会ってすぐカード遊び、鬼ごっこや
相撲は得意なんですね。
そしてあっという間に距離を縮める。
年齢が近い同士チームっぽくもなって
妙な結束みたいなものも
生まれ始めているではないか…!!
ごはんのときもお互いに
「隣がいい」と主張する組み合わせが
いくつか。いつの間にやら
移動中は必ず肩を組んだりしている。
でもたぶん、お互いの名前とかは
うまく把握できていないと思われる笑。
いや、わかるよ、うん。
私もそれ、経験したから!
いいんだよねー。楽しいんだよねー。
田舎あるあるか、
われわれ親族特有なのかは
わからないけれども。
悲しみや寂しさはあるけれども、
湿っぽい雰囲気では決してない。
思い出話をしながら
そう言えばあんなこともあった、
こんなこともあったよねーーーー
ってゲラゲラ笑って。
父のおかげでまた、こうして
みんなで集まって顔を合わせたんだな。
またイトコ会やろうねー!
ってことになった
そこに空いたスペースには、
こうしてまた温かいものが
少しずつ埋まっていくんだなと、
大きな時間の流れを感じるとともに
子ども達の明るさから学んだ気がします。
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