「あー楽しい!なんて面白い人たち!最高!」

私のことなんぞ、誰も気にしちゃいない。
だからこそ、何も気取らず偽らずその場にいる事ができる。 

そんな時がある。


それは、
小学生の子どもたちといるときだ。




我が家には、週2回くらい子どもたちが遊びに来る。宿題をやったりゲームをしたり、かくれんぼしたり…。一緒におやつを食べて色々な話をして。本当に、勝手気ままに過ごして帰っていく。

お腹が空いたら、「なんか腹減ったなー」とか。夕飯の準備していると「オレ、それ好きなんだよなー」とか台所にやってきたり、「1人で帰るの寂しいなー」と言ってみたり…。

彼らは、自己の欲求を自然に表現するプロだと思う。その言い方や表情や仕草が、大人の心を動かす。

色々な話をしてくれてるけど、基本、私の話3割くらいしか聞いていないだろう。
でもそれが、心地いい。
同調してくれてるわけでも理解してくれてるわけでもない。ただ、お菓子を食べたりゲームしたりしながら聞いて、興味のある話にこたえる。

そんな、自分を中心とした時間を過ごす彼らといると、周りからよく思われたいという思いが消えて、ただそのまんまの私が出てくる。

2歳の頃から、接客をしていたような私は知らず知らずのうちに、人からの評価を気にするようになっていった。人一倍、「良く」見られたいと言う思いが強いことに気づく。

心は怒りで煮え繰り返っていても、どんなに体調が悪くても、笑顔でいることができる。理不尽なことでも自分を蔑んで謝る事ができる。
「良い人」と思われたい…。
ただそれだけで。

そんな錆びた鎖が、彼らといる事で解けていく。


そのまんまの私を、受け入れようともしていないし何もしているわけでもないからこそ、とても気楽に過ごす事ができる。

最高に楽しい時間を運んでくれる。

ありがとう。
小学生の大先輩。

自分の欲求を素直に表現して満たし
ウソの共感も同調もせず
本当にそう思った時にだけ応える
否定も共感もなく、ただ真っ直ぐに、

ご一読ありがとうございました。

次回【私、子育てできません。】