私の好きなアニメの二次創作動画で、とても構想が凝られたものがあった。

解説の文章を読むと、「希望」という言葉があるのに、その意味合いは物悲しく、本来の意味合い通りであるのに温かみというより冷たく、先の見えない苦しみのようなものだった。

 

でも実際、希望というものはそれが本質かもしれない。

 

これを手にするためには、もしくはこれを手にすると、やってくるのは苦しみだ。

希望のために頑張ろうとすると壁を乗り越えないといけない。

希望があるから、人は頑張れるともいえるが、希望によって努力せざるを得ないともいえる。

逆に絶望というのはもう何も無い。闇夜が妙に安心するのと同じ。

当てがないとそれはそれで人は苦しい。しかしもう失うものも無かったりしないだろうか。

どん底まで行ってしまえばもうそれ以上落ちる必要はなくなる。

それ以上、悪い事が起こらない、かもしれない。

それってすこし魅力的ではないか?

 

悲観的な思考に取りつかれてなかなか抜け出せない人が居る。

そういう人は、そうして絶望に触れたり、悲しみの心地よさに慣れてしまう人だと思っている。

私も、私の周りの人もしばしばそうだったりする。

ずっとそこに居ることを望んでいないように見えて、実は心の底から安心しているのだ。

勿論全てそうともいわない。絶望から本当に抜け出せない人もたくさんいる。

希望は怖いものだ。

なんなら幸せも怖いものだ。

 

私は、この前散々恋人の事を書いたが、あの記事を書いたときに貰ったものは希望だった。

恐ろしいものでありながら、凄く温かい。そう感じる。

無くなるのが怖いから安心感はない。

でもやっぱり有るから前に進めるというもの。

 

将来に迷っていた。近い将来に。

どうするのが得策で、自分はどんな風でありたい、そういう身近な不安が付き纏う。

私はカウンセラーが言うように、取捨選択をして生きやすいように暫く生きてみたが、ずっともやもやしていた。理想とは大きく違っていたので納得いかなかった。

でも仕方ないと思っていた。今まで出来なかった、出来ないと言われたと。

「自分は出来ないって言う足枷をつけてない?」

そう言われてハッとした。

まさに前述のように希望を捨て、絶望に縋っていた自分が見えた。

更に続けざまに恋人は言う。

「君はもっと色んなこと出来ると思うんだけどな」

「すごい可能性を秘めてるように見える」

一人の見解、でも私が世界中の誰より信頼している人からの言葉。

自分の能力が認められないのは変わらないけれど、恋人が嘘を言わないのは知っている。

そう思ってくれていることがすごく嬉しかった。

自分のためでなくても、そう思ってくれている人のためなら少し頑張れる気がした。

きっとこういうのが希望なんだろうと思う。

 

貰ったといえ、実際に出来る確証はない。

でもまだ頑張ってもいい。まだ何か出来るかもしれない。

そう僅かでも思って前進しようとする原動力はやっぱり希望なんだと思う。