考えないをしないとはいえ、毎日悩みは尽きないものだなぁと思う。
いちいちしょうがないようなことで立ち止まる自分を見ていると、中身まで空っぽでつまらない人間に思えてくる。でも足は止まる、止まるときは止まる。それもどうしようもない。
楽をすることと、出来ないからやめるというのと話が違う。
カウンセラーは言う。
「全部を頑張らなくていい。良い点数を取らなくていい。最低限が出来ていればいい。最低限、それは卒業が出来れば、いくら課題を落とそうが欠席しようが良い。あなたが頑張りたい教科だけ頑張ればいい。他は評価が低くていいんだ」
そして最後に必ず、
「環境に自分が合わせるんじゃなくて、環境を自分に合わせるんだよ」
と言う。
この言葉を再三聞いた。
人は”楽”を許されると”楽”に流れる。
私もそういう一人の人間。
今までどれだけ真面目に居ようと頑張ってついて行っていたか。
そんなことを全て無下にするがごとくに、授業に出席だけつけたり、課題を数週間サボったり。
でも知っている。それをするような人は周りに置いて行かれる。
それを許す人は異端でしかない。先生からも生徒からも。
私からも。
「良い」と言ったのはカウンセラーただ一人。
別にそのカウンセラーは、私の人生を代わってはくれない。
私の人生の保証人にすらなってくれない人だ。
ただ来るたびに、私の悩みを聞くだけ、それが仕事。
何と言ったっていいじゃないか。
…そう思ったら、しかしカウンセラーを信じなければ、私は頼るつてがもう分らない。
別に頼ろうと思えばいくらでもいる。
でも誰だって主観でしかないんだ。主観で判断する他ない。
それならば専門的に学んだ臨床心理士であるカウンセラーが結局適任ではある。
私の学んでいる学科は、全てが関連性があり、積み上げ式で進行する。
つまり何か抜けているとそれだけでバランスが崩れ、他の、次の教科を学ぶときに支障を来す。そこまで理解している。カウンセラーはそこまでは見えているだろうか?
信用には値する。頼る価値は勿論ある。しかし、結局助言をくれるだけ。
後の判断と行動は、私の責任。
全て私の行動一つで決まり、私が決めなければならない。
当たり前の事なんだろう。そうではない事を望んでいるのは子供の私なんだろう。
正解が欲しいといつも望んでいる。
私の正解は、私が作ったもの。私が望んだものじゃないのか。
いろんな事が錯綜する中で矛盾してくる。疲れてくる。
何をどう受け止めて実行に移していくか、常にそんな思考との死闘だ。
好きに楽しくいきたい。皆平和に穏やかに過ごしたい。
望みはシンプルなのに難しい。