それは突然やってきた‥


11月6日から妻の病状が芳しくない為、今日から病院に泊まり妻の看病する事にした癌が進行しモルヒネを投与しているのと、肺がんの影響で胸水が溜まり話しかけても反応がない状況が4日間続いていた


話はほとんどできないが、夜中中妻の「苦しい、痛い、助けて」との叫び声がする、酸素吸引や身体をさすってあげたり、対応できない時はナースコールを押し対応してもらうなど一睡もできないまま朝を迎えた。


翌日11月7日の午前中から、妻はタンが詰まるようになり息苦しさの為、何度もナースコールを押し対応してもらっていた。


この状況に何かを感じとった看護師が私を別室に呼んだ


そこで看護師から渡されたのは死期が近くなると身体に現れる症状が綴られた資料だった。


そこに書かれていたのが「タンが溜まりやすくなる、受け答えに反応しなくなる」など今の妻に当てはまる内容が書かれていた。受け答えに反応しなくなってからの死期は1週間から2週間と記されていた。また亡くなる直前には血圧が著しく下がるとも記されていた。


最近の妻の状況から当てはまる症状がいくつもある嫌な予感がした‥


看護師からの説明の後に妻が急変した時に後悔しないため、親戚にビデオ電話することにした


4歳の甥っ子は話しかけても反応がない妻に「何で寝ているの?」状況が理解できていなかったが、

妻が好きなジャンボリーミッキーのお歌を歌ってくれた。声は出ないけど妻が甥っ子に手を振って反応していた心なしか嬉しそうな表情をしている様にもみえた


中学生の甥っ子と姪っ子からは「退院したらまたクレープ作って!」「またポケモンやろう!」とみんなから人気者の妻はたくさんのお願いをされていた。問いかけに反応できないため、私が「そうだねまたやろう」と代弁する


その夜のこと悪い予感が的中することとなる


11月7日20時を過ぎた頃、妻の呼吸が急に荒くなり酸素濃度が80前後に下がったまた排尿のチューブから血尿が流れ出す。慌ててナースコールを押し医者に状況を確認してもらう血圧を測定してもらうと最低血圧が30台まで落ちてきていた慌てた医者がやってきて「早くて今晩には亡くなる可能性が高い急いで親族の方を呼んでください」


千葉に住んでいる妻の両親に連絡を入れ急いで病院に来る様に伝える。


妻を励まそうと手を握ると手がものすごく冷たくなっているそれにものすごい手が濡れている


午前中に看護師からもらった資料に亡くなる間際に臓器が弱り血尿や循環機能が弱ることで身体から水が出てくると記されていた


呼吸が弱くなり酸素濃度も徐々に下がってきている妻の両親よ何とか間に合ってくれ‥


21:30妻の両親が病院に到着する私と妻の両親と妻の弟さんの4人で妻を励ます。


私「ディズニーに新しいアトラクションできたら一緒に行くって約束したんだから頑張れ!」


妻の母「元気になって一緒にハワイへ行くんだから目を覚まして」


妻の父「年末の有馬記念を一緒予想して楽しむんだ相手してくれるのはお前しかいないんだぞ!」


妻の弟さんは徐々に冷たくなってくる妻の手足をさすってあげて励まし続ける。みんなで身体をさすったり励ましの言葉をかけ続けること1時間半


徐々に呼吸が弱くなりついに妻の呼吸が止まる心臓マッサージをしたり妻の母が大声で「帰っておいで」と大声で叫ぶが反応がない


医者が病室にやってきて胸に聴診器を当てて心音が止まっていることを確認「11月7日23:08死亡を確認」とつげる


これまでの人生でこんなにも辛くて悲しい経験をしたのは生まれてはじめてだった大粒の涙が止まらない妻のお母さんは妻の亡骸に抱きついて大声で泣いている。


4人で大声を出して泣いていた‥


ただ妻の亡骸は辛い癌治療の手術による顔面麻痺、脳転移による右目失明、辛い放射線や抗がん剤治療たくさんの辛い治療と副作用からやっと解放されたのかすごく安らかな顔をしていた。


私は妻に「よく今まで頑張ったね天国でゆっくり休んでね」と頭を撫でた。


悲しみも束の間、看護師がやってきて妻の体を綺麗に拭いて死化粧をしてくれた。私はそのまま葬儀屋がやってきて今後の説明を受ける。


さらに病院は宿泊施設ではないので霊安室に妻の亡骸を預け電車も走っていない夜中の2時に妻の入院の荷物を全て抱え大荷物で外に出る。


病院の近場のビジネスホテルを急遽予約して泊まることにする。


ホテルに着き妻の入院の荷物を整理する妻が闘病中にいつも肩から掛けていた今年の春にスターバックスで買ってあげたピンクの布製の小さいバックこれは私が癌になって落ち込んでいる妻を励ますために買ってあげたものだ。


闘病中の妻はいつもこのバックを使っていた

バックの中にジッパーがありその中を確認する。


中には入院中で結婚記念日を一緒にあげれないと残念がっていた妻に私が宛てた人生で初めで最後のラブレターが入っていた辛い治療を耐えるためにお守りとしていつも持って頑張っていたらしい。



妻を失って数時間しかたっていませんが、妻の遺言で私が亡くなったらすぐにブログをあげて私の生きた証を伝えてほしいと頼まれていましたので涙をこらえながらブログを更新します。


今まで妻にアドバイスや励ましの言葉をいただき本当にありがとうございます。


また妻の戦った記録が同じ様な境遇の方の励みになることを願っています。


本当にありがとうございました😊