東京 大昌寺の佐藤彦五郎の墓 | 僕と歴史と墓 

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こんにちは!

今日の午前中は、部活の練習試合がありました。

結果は、普通というところでしたが、もっと勝つために頑張っていきたいです!卓球

さて、今回は東京の日野市にある、新選組と関わりの深い、佐藤彦五郎の墓を紹介します!

 

↑日野市にある大昌寺の山門です。

 

↑大昌寺の本堂です。

 写真は無いですが、この大昌寺の「時の鐘」は日野宿に、時を告げていて、親しまれていたそうです。

 

↑墓地に入ると、奥の方に旗が立っている、墓がありますが、

 その近くに、讃誉上人という人の墓があります。

 讃誉上人は、この大昌寺を建立した人物で、後北条氏の武将で、

 武蔵国立川郷の領主、立川能登守清房の子といわれています。

 

↑玉川居祐翁という人の墓です。

 玉川居祐翁は、元々、中村太吉という名で、佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学んだ門人で、

 浪士組に加わって、上洛しますが、近藤勇に日野に帰るようにと言われて、

 帰ってきた後は、佐藤彦五郎の作った農兵隊に加わりました。

 

↑佐藤彦五郎など佐藤家の墓です。

 佐藤彦五郎は、日野宿本陣に天然理心流の道場を開いて、稽古に来た、

 近藤勇と土方歳三が出会う、きっかけを作った人です。

 その他では、新選組に、何度も援助をしたり、鳥羽伏見の敗戦後は、

 春日隊という隊を組織して、甲州勝沼の戦いに、新選組の隊員達と参加しました。

 彦五郎の妻は、土方歳三の姉のノブです。

 

↑一番手前の墓石が、佐藤彦五郎とノブ達の墓石です。

 

↑墓誌の下段の右から3、4番目には、彦五郎とノブの名前が刻まれています。

 

 

 

 

今回は、これで、終わりです。

では、さようなら!