山口の歴史旅 (下関、美祢、阿武) ① | 僕と歴史と墓 

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こんにちは!

今回は、2016年に、行った下関や萩のことを紹介します。

 

↑まず、下関にある、源平合戦、最後の戦いの壇ノ浦古戦場(平氏滅亡の地)です。

 源義経(源氏)と平知盛(平氏)が戦いました。

 その際、8歳だった安徳天皇は入水し、平氏は滅びました。

 僕も行きましたが、」壇ノ浦古戦場(みもすそ川)には、義経と知盛の銅像があり、

 「耳なし芳一」の舞台である、近くの赤間神宮には、壇ノ浦で亡くなった人達(平知盛や安徳天皇など)の墓が、あります。

 

↑下関の高杉晋作終焉の地の石碑です。

 ここで高杉晋作は、亡くなりました。

 

↑高杉晋作終焉の地についての説明の看板です。

 下関の東行庵には、高杉晋作の墓と晋作が作った奇兵隊士の墓などあります。

 

↑ここれも下関にある、高杉晋作療養の地です。

 ここで、高杉晋作は、小倉戦争で悪化した結核を癒していました。

 

↑巌流島船着場です。

 下関に来たら絶対に行った方がいいと思います。

 

↑真ん中にある、島が巌流島(舟島)です。

 昔は、舟の形に似ていたらしいです。

 今の巌流島は、ほぼ埋め立てです。

 

↑島に着くとすぐに、舟島神社が、あります。

 

↑巌流島の案内図(地図)です。

 

↑少し歩くと、茂みの中に誰も気づかなさそうな佐々木小次郎の碑が、あります。

 

↑巌流島の舟の先の部分の形になっている、石碑です。

 

↑巻物の形をした巌流島の決闘についての碑です。

 

↑武蔵と小次郎の決闘の場面の銅像です。

 左が小次郎、右が武蔵です。

 小次郎は、武蔵ではなく、武蔵が巌流島から帰った後に、小次郎は、目を覚ましたが、

 隠れていた武蔵の弟子が、殺したという説があります。

 

↑美祢市の日本一大きい鍾乳洞の秋芳洞です。

 入る前から、夏なのに、すごく寒かったです。

 カルスト台地で有名な秋吉台の下にあります。

 

↑秋芳洞の中には、百枚皿などの、

 多くの年月をかけて作られたものが、たくさんあります。

 

↑秋芳洞の中を流れる川です。

 

↑阿武町の佐々木小次郎の遺髪の墓です。

 

↑佐々木小次郎の墓です。

 奥の墓は、誰の墓かわかりませんでした。

 もう少し奥に進むと、小次郎の妻のユキが、信じていたと、

 されるバテレンの墓もあります。

 

↑小次郎の墓です。

 墓の側面には、「佐々木古志らう」という文字が確認されています。

 墓の面には、仏様(観音様)のようなのが、彫られています。

 

↑佐々木小次郎の墓についての看板です。

 ここの墓は、山の中にあるので、すごく分かりにくいです。

 墓への、行き方は、看板を見ながら、行くしかありません(人とか誰もいません)。

 

 

下関市、美祢市、阿武町の紹介は、終わりです。 

次の②は、萩市についてです。

②へ続く