こんにちは
今回は、埼玉と神奈川にある太田道灌ゆかりの地を紹介します
↑神奈川県の伊勢原市役所前にある太田道灌の銅像です。
太田道灌は、伊勢原にある扇谷定正の糟屋館に、招かれたが、ここで、道灌は暗殺されました。
太田道灌は、江戸城や川越城などを築城したりしました。
↑市役所から近い太田道灌公霊地(太田道灌首塚)の石碑です。
↑太田道灌の墓(首塚)です。
↑太田道灌の説明の看板です。
↑太田道灌公菩提寺の大慈寺です。
首塚は、この寺の正面の道を少し歩いたところに、あります。
↑太田道灌の肖像画です。
この肖像画は大慈寺に、あります。
↑洞昌院にある、太田道灌公之墓と彫られた石柱です。
↑洞昌院の太田道灌の墓です。
↑洞昌院の近くにある道灌の家臣たちの墓です。
道灌の暗殺の時、道灌の家臣が、討ち死にした七人の墓です。
↑七人塚の説明の看板です。
↑埼玉県越生町にある、山吹の里の石碑です。
蓑を借りるため民家を訪ねた際、出てきた少女が何も言わずに一枝のヤマブキを差し出した。そ の意味が分からなかった道灌は「七重八重花は咲きけれども山吹の実一つだに無きぞかなしき」という歌を教えられ、そして道灌は歌道を志し、文武両道の名将になったと云う縁の地です。
↑山吹の里にある歌碑です。
↑太田道灌と道真の墓が、ある龍穏寺です。
境内には、大阪夏の陣で、木村重成に、討ち取られた武将の山口重信の墓も、あります。
↑龍穏寺の境内の太田道灌の銅像です。
↑龍穏寺の境内にある太田道灌と道灌の父の道真の墓です。
左が、道真の墓で、右が、道灌の墓です。
↑道灌と道真の墓の前に、ある道灌の墓の説明です。
今回は、これで、終わりです。
では、さようなら