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誰もが一度は「三国志」という歴史物語‥そして、「劉備玄徳」を支えた「関羽」「張飛」「趙雲」「黄忠」「馬超」‥ら蜀の五虎将軍といわれた登場人物の名を一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。

今から1900年も前の中国のお話です。

猛将や軍師が群雄割拠する時代‥天下統一を夢みて広大な中国(後漢王朝時代)を舞台に激しい戦いが繰り広げられました。

 

昔から数多くのマンガやアニメになっていますので、一度は見たことがあるかもしれませんね。

誰もが血湧き肉躍った「三国志」ですが、私達が憧れた三国志は、ドラマ化(美化)された「三国志演義」という物語なのです。

  

本来の「三国志」(後漢)の時代は、殺戮の時代で被害者数(死者数)は最小で3600万人、最大で4000万人といわれています。

三国時代の前、漢代の平和な時代において人口は確かに増え続けておりました。

漢代140年の時点で世帯数はおよそ970万、人口はおよそ5,000万人居たとされます。

それが280年の調査では、およそ250万世帯で人口1600万人にまで減少していたのです。単純計算で、3,400万人が戦乱の中で死んでしまったのです。

前漢時代と比べると、マイナス70%という激減です。

 

あの魏(ぎ)の丞相「曹操」(そうそう)が漢詩で述べたように戦乱の激しい地域では「千里にわたって鶏の鳴く声もなく、生存者は百人に一人」という惨状も満更嘘でもなかったのかも知れません。

たしかに、戸籍が今ほど正確なではなかったのかも知れませんが、概ねそのような状況だったことは、ほぼ間違いないと思われます。

董卓(とうたく)の専横、曹操の台頭、三国鼎立……なぜ、犠牲が増えたのでしょうか?

三国志に詳しい方でしたらご存知でしょうが‥

「十常侍」(じゅうじょうじ)ら宦官の台頭による政情腐敗

 

絶え間ない戦。

そして三国鼎立による国家分裂

あらゆる悪条件が重なったと思われます。

中国の王朝崩壊は毎度、莫大な犠牲が出るものですが、後漢時代は、とりわけ酷かったようです。

三国時代を舞台にした物語が常にエキサイティング&スリリングであり、手に汗握る展開であるのは、その日常が常に死と隣り合わせだったからなのでしょう。

戦乱は中国の中央部である中原にとどまらず、184年の「黄巾の乱」の時点で戦乱は中国全土に及びました。

この時点で、すでに甚大な被害が出ていたと思われます。

乱が鎮圧された後にも、董卓の専横、反董卓連合の戦い、曹操の台頭、劉備、孫権の登場、そして歴史を変えた稀代の天才軍師「諸葛孔明」の登場、赤壁の戦い、三国鼎立ここからは、三国ファンにはおなじみですね。

 

ところで、この間、戦乱に巻き込まれた庶民はどんな悲惨な生活だったのでしょう。

横山光輝氏の三国志で、劉備と共に逃げ惑う民衆が描かれておりましたが、彼らは曹操の軍に追いつかれると斬り殺されていくばかりでした。

 

農民たちは、疫病、イナゴ害に苦しみながらが農作物を作り続けなければなりませんでした。

三国鼎立というのは支配者側にとっては、それなりに充実した人生だったのでしょうが、当時の中国大陸に暮らす庶民にとっては終わりなき悪夢であったことでしょう。

 

話は「三国志演義」に戻りますが、この物語では「義」をテーマとしています。

この長い物語の巻頭は、劉備、関羽、張飛が、張飛の屋敷の裏にあった桃園で血の繋がらない義兄弟として誓いを結んだ「桃園結義」(桃園の誓い)です。 

  

では、この「義」とは何でしょうか。

一般的な意味で、「義」とは、人間としての正しさ、世間で生きるべき道理のことです。

そのため、「義」とは正しいもので、また私利私欲のものではありません。

 

他にも「正義を貫く」という表現もあり、「義」は逃れることのできない道徳的な義務なのです。 「義」の共通点は、正義であり、無私であり、他人のために行動し、人がするべきことをなすことです。

ところが、劉備、関羽、張飛の『桃園の誓い』は、「兄弟の義」を指しているのかというと‥そうではありません。

作者は三国志を書くにあたって、魏・蜀・呉の三国が成立してから終焉するまで重要な登場人物を詳細に書くことで、世が混乱している中、登場人物それぞれが王座や権力、富など利益を前に どのように決断をしていったのかを強調しています。

 

   

一人ひとりが異なる志を持ち、異なる人格を持っていますが、毎回の選択は、心のテストであり、善か悪の選択でした。

それは、まさしく古代人が言ったように「義と不義」の選択でもあります。

幾度なく戦争が行われる中で、ヒーローやヒロインが次々と登場しますが、正義の名を掲げ国や国民のために尽くしているのは誰か? 

混乱に乗じて私利私欲を貪り、王座や権力を求めているのは誰か? などを作者は表現するために、この「三国志演義」という名作を書いたのであり、彼はこの歴史観の中で「義と不義」を視覚的に明らかにしています。

「桃園結義」は巻頭に登場しますが、すなわちこの三人こそが主人公であり、三人は三位一体であると作者は表現しています。

中でも劉備はリーダーで、兄弟の方向性を決め、3人で行動するときは、関羽が左、張飛が右にいます。

彼らは、「兄弟の義」だけではなく、「君主と大臣の義」をも持ち合わせています。

劉備の「君主への忠義、民衆への愛と敬意」、そして関羽などの「臣下への仁義」がとても重点的に描かれています。 

作者はこのような「君主と大臣」の関係を高く評価し、尊重しているのです。

そして未来の王や将軍、一般人を教育するためにこの作品は書かれました。

つまり、将来の君主となる劉備は、「義の中の仁」(仁‥思いやり、情け、いつくしみ)を重視し、君主の在り方を仁と表現し、一方、二人の大臣である関羽と張飛は、「義の中の忠」(忠‥心の中にいつわりがない、まこと、まごころ)を重視し、大臣としての在り方を忠と表現しているのです。

実は、「仁義、忠義、信義」はすべて関連しており、切り離すことはできません。

もし、忠と信が切り離されてしまうと、善悪の区別がつかない忠と信になってしまい、ひいては悪人を幇助することになりやすいのです。

だからこそ、古代には「賢い臣は仕える主を選ぶ」という言葉があり、慈悲深い主を選んで補佐し、従っていたのです。 

  

「三国志演義」もこの意味合いを物語の中で存分に顕しており、「仁義、忠義、信義」と、それぞれに意味があります。 

言い換えれば、「仁、忠、信」のいずれの文字にも、「義理人情に厚く、無欲であり、善意を貫く」という根本的な意味合いを忘れないために、後ろに「義」という文字をつけるのです。

小説では、劉備の仁義を強調するために、曹操を劉備とは対照的な裏切り者として描いています。 歴史を尊重している人には歴史と違うと感じてしまうでしょうが、それは小説だと割り切るしかなく、劉備の方もまた正義の様々な意味合いを人々に伝えるために、様々な加工が施されており、当然美化されています。

  

作者は読者にどのように義を重んじる人間になるかを伝えられればそれで十分なのです。

次に劉備、関羽、張飛の結義の物語をみていく前に、まずその時代背景を知る必要があります。 

現在の中国大陸での現地語による解釈では、政治的な腐敗をきっかけとした後漢末期のいわゆる「黄巾の乱」が舞台とされています。

しかし、これは著者の原文の歴史的理解とは一致しません。

そこで何が起こったのかを正確に知るためには、原文と比較しながら見ることが必要です。

それによって三国志の奥の深さが理解できて益々楽しくなるでしょう。大紀元 EPOCH TIMESより引用 

 

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