「ももそはりきゅう院」


この名前を耳にしたお客様は

「どういう意味があるの?」

と大半の方は尋ねる。

「サロンの近くに船山神社という神社が

あって、そこの御祭神がももそ姫って

言う方なんです。」

私はこの質問には手短にいつもそう答える

けど、この由来にはとても深い

思い入れがある。


2018111


私は関西に向かう

早朝の高速バスの窓から初雪を目にした。

朝陽が雪にキラキラと反射して、

とても美しい光景だった。


今思えば、それは真っ暗な

トンネルの先にひとすじの光が

差したような光景だったと思える。



全てがバラバラに破壊され、

これから再生へと向かう

長い道のりのトンネル。



2017年の3月に私は元旦那さんと離婚して、

翌月の4月から鍼灸の専門学校に通った。

毎日忙しい日々を過ごしていたけど、

確実に前を向いて進んでいた矢先、

私は人生で、今まで生きてきた中で、

どん底の出来事を経験した。


2017年の年末、それは生きる

気力も失われるほどの出来事だったけど、

とにかく学校と仕事と当時高校生だった

息子の世話に追われ

なんとか生きていかなければと

必死に這いつくばって生きていくのが

精一杯の日々を過ごしてた。


そんな頃に偶然出会った記事をみて

みずほさんの事を知った。 


彼女の情報はまさに、自分に起きている

状況と一致していて、

びっくりしたけど、

とにかく関西に住んでいる彼女の

セッションを受ける事にした。

 

2018年1月11日

それが彼女との出会いだった。

彼女は私よりひとつ年上のとても

美しい人だった。年齢よりもとても

若く見えるけど、魂がとても歳老いて

いるような、不思議な魅力の人だった。


彼女は私の守護霊やガイドからの

情報をチャネリングして、

アドバイスを色々としてくれた。


その彼女からの第一声が

「第七代孝霊天皇の皇女、

倭迹々日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ) とご縁がありますね。」と。


???誰それ?


私はその頃、神社やスピリチュアルな

情報にはほとんど興味がなかった。


何よりも私が聞きたい情報と、

あまりにもかけ離れていて、

そんなのどうでもいい。

と思ったくらい。笑


彼女が言うには奈良にある

百襲姫の古墳とその弟君にあたる

吉備津彦命が御祭神の岡山にある

吉備津彦神社に行きなさい。と。


それで、彼女の言われるがままに

その年の3月には学校の春休みを利用して

奈良、岡山と立て続けに行った。


そうするしかなかった。

生きていく術を失い、彼女の言った 

事に藁をもすがる思いで、

その通りにするしかなかった。


奈良にある百襲姫の古墳に訪れたあと、

ついでに神戸の実家に帰り、

そういえば父方の祖父は奈良の出身で

父は奈良に戦時中、疎開していたと 

聞いたことがある。


「お父さん、疎開してたのは

奈良のどの辺り?」


「桜井市」


「・・・」 


絶句してしまった。


桜井市は倭迹々日百襲姫の古墳が

ある町ではないか。


それから私は百襲姫について、

色々と調べた。

みずほさんに会いに行く前日に

息子とした会話を思いした。


あの時、なぜそんな話をしたんだろう。


私は今のサロンのある家に引っ越す

前に元旦那さんと離婚後、

息子とふたりサロン近くにある

アパートに住んでいた。


その住まいから車で 10分ほどの

ところに田村神社という神社がある。


息子が産まれた頃は田村神社から

車で1時間もかかるところに住んで

いたにもかかわらず、息子のお宮参り

を私の提案で、田村神社で行った事を

ふと思い出し、

「あんたと田村神社の近くに二人で

住む事になったのは何かこの土地に

ご縁があったんやね。きっと。」

なんて話をしたのを思い出した。

なんと田村神社の御祭神が

倭迹々日百襲姫だったのだ。


これまたたまげた。


そして百襲姫の事をもっと深く

知りたくて、さらに調べると、

田村神社よりも家に近いところにある

船山神社も御祭神が倭迹々日百襲姫だと

知った。さっそく船山神社を

訪ねてみた。なんとそこは10年ほど

前に自分が習い事をしていた先生のお家

の近くではないか。


いつも船山神社の参道を歩いて

先生の家に通っていたのだった。

その頃、神社の御祭神が誰なのか

神社の名前すら知らなかった。


それだけでもかなりびっくりしたけど、

船山神社の社伝を読んでみると

『倭迹々日百襲姫はこの神社の近くの

船岡山に登りここは讃岐の中央にして、

すきなところなり。と賞して、

その地に移り住んだ』とある。

船岡山は私が住んでいたアパートから、

歩いて5分のところで、アパートのベランダからも船岡山はよく見えるのである。

ここまで来るとさすがにちょっと

怖くなってしまう。


あまりにも多い偶然の一致。

まるでバラバラだったパズルが少しずつ

合わさるように私は百襲姫に

導かれていった。


それから一年近くたった2019年に

私はもう一度みずほさんに会い、

百襲姫にまつわる全ての出来事を

彼女に伝えた。


みずほさんには初めてのセッションの時、

私が香川に住んでいる事は伝えてなかった。

彼女は私と百襲姫の関係をもう一度チャネリングしてくれた。

彼女が言うには私は百襲姫の死後、

この地で百襲姫の意志をついで生きた

過去世があった事。


この土地、仏生山は私にとってとても

思い入れが強く、こ土地やこの土地の

人達を良くしたい。恩返しがしたい。

と魂が深く望んでいるのだと言う。


あれからもう5年、

私は導かれるようにこの地に家を買い、

サロンを開業した。


そしてその節目に去年の夏、みずほさんにご報告がてらセッションをもう一度お願いした。


みずほさんは私の成長をとても喜んでくれて、そして『百襲姫の祝福を感じます』

と言っていた。

そしてサロンを開く上でのアドバイス

を色々と頂き、


「サロンの名前は決まっているのですか?」


「ももそはりきゅう院にしました。」


「いい♡凄くいい❗️」と。


そして


「百襲姫の『もも』は『百』だけど、

桃のロゴマークをサロンの看板や

名詞などに入れたらいいですよ。

桃は浄化作用や厄祓いの作用が

あるし、弟君の吉備津彦命は

桃太郎のモデルになった人だしね。

その桃=陽子さんの象徴として

癒しの存在になりますよ』と。


『❗️』 


「みずほさんっ❗️実はホームページを

作ってくれた広告代理店さんが

お灸をイメージして先っぽが尖った

『桃』のロゴを考えてくれて、

ホームページやサロンや

看板、チラシ、名刺全てに

『桃』が入ってるんですよ」


「そうなのねー。♡」


「もうさぁ、そういう風に全て

流れが出来てるわけじゃない。

だから心配しないで、

自分の道を進んで行ったらいいよ。

ちゃんと導かれているから」


そう言ってみずほさんは私の背中を押してくれたのだった。


みずほさんに最初にセッションして

頂いた時、みずほさん自身、

孝霊天皇は自分の父のような存在だと

思っていると話されていた。

セッションで『孝霊天皇』や『百襲姫』

のキーワードが出てきたのは

陽子さんが初めてよ。

とびっくりされていた。

そして、私とみずほさん自身過去生で

ご縁があったと話してくれた。


最初にも言ったけど、

私はもともとそんなにスピリチュアルや

チャネリングと言ったものに

興味があったわけではないし、

自分がそんなスピリチュアルな

能力があるわけでもない。

占いは昔からすきだったけど😁)

だから、みずほさんの言う事が今でも

100%全てだとも思っていない。


『みずほさんが言った事。』

が全てではなく、

『それを聞いて自分が感じて、

行動した事。』が全てなのだから。



あの頃の私はまだまだ未熟で、

藁をもすがる思いでみずほさんの

セッションを受けたけど、

私はずいぶんと逞しく成長したなぁと思う。

ここまでの成長は決して自分ひとりの

力ではありません。 


みずほさんをはじめ沢山の人々に

支えられてきた道のりでした。


“暗くて長い道のりのトンネルの先に

みえるひとすじの光”


正直、まだまだ挫けそうになる日もある。


でもあの頃よりも強く一歩、一歩と

前に進み、傷つき苦しんだ日々も

含めそんな自分を、

愛しいと思えるようになった。

自分を許し愛してはじめて人を許し 

愛せるのだから。


一セラピストとして、沢山の人を

愛せる自分でありたい、