ちょっといい話 パートⅠ 「縁を生かす」
お疲れ様です。 
ブログ、久しぶりの更新です。ちょっと仕事が忙しくて潜ってました。。。かなり。
きゃはは。
まぁ、急がず、慌てず、仕事じゃなく趣味の域なので、ブログに追われるなんてことなくぼちぼちと更新していきたいと思います。
そうそう、仕事つながりで私って社内でもHPの管理をしていたりします。
(きゃはは)
この社内のHPにもコミュニティー広場や現場ブログがありますが、その中に、「ちょっといい話」のコミュもあるので、お題目をちょっとパクったのですが、まだこの話は社内で投稿していない話です。
これは以前に私の父からメールでもらったはなしです。
ちょっと長くなるのでご覚悟を。
「縁を生かす」
その先生が五年生の担任になった時、生徒の中で一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになった。
ある時、少年の一年生からの記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切、勉強もよく出来、将来が楽しみ」とある。「これは間違いだ。きっと他の子の記録に違いない」先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死に、希望を失い、悲しんでいる」とありました。
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコ―ル依存症となり、子供に暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。駄目と決めつけていた子が、実は、突然深い悲しみをじっと胸に収め、必死になって生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとってまさに目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独りで本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、少年から一枚のカ―ドが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出逢った中で一番すばらしい先生でした」
そして卒業後、六年経って、又カ―ドが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学できます」
十年を経て、又カ―ドがきた。そこには先生と出逢えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任して下さった先生です」
そして一年経って、届いたカ―ドは結婚式の招待状だった。「どうぞ、母の席に座って下さい」と一行、書き添えられていた。
たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
「致知」平成17年12月号の巻頭の記事より
どうでしたか?私はこの話を読んで、すっごくジーンときて泣いてしまい、そしてこの文から色々なことを考え、いろいろなことを学びとりました。
人は人とかかわりを持って生きています。勉強の場で、仕事の場で、日常で、言葉、会話、ふれあい、コミュニケーション、多分人が人とかかわることなく生きていくなら、「人」でなくなるほど、「人」は「人々」にかかわっているのかもしれないですね。
そんな中、見た目で「この人キライ!」とか「この人は生理的に好きじゃない」なんてよくある話ですが、それは人をある一方向からしか見ていない、偏った判断な場合もあるんですね。
こちらの方向から見ると、嫌な面があっても、こちらの側から見るとすっごくステキな人だったり。。。きっとそうなんです。
逆に自分が嫌われちゃうこともあるかもしれません。でも、よっぽどの理由のない限り、自分から人をキライになることはしないでおこう。と思いました。
そして・・・人と出会う事により、人に支えられ、人は救われる。。。
「縁」
あなたと、こうしてして出会った、この文に出会ったことも同じく、「縁」ですね。
「一期一会」
「縁」を大切に。。。と思う今日この頃のももりん♪でした。
(おまけ)
まーくんと。。。 

まーくんとキティちゃんグッズのお部屋へおじゃましました。
たまたまだけど、目が眠そう。。。な私。
実際も夜中が多いのでねむねむモードだったり。(笑)

まーくんに「ついておいで」
と釣りに連れてってもらいました。初挑戦!
「しょぼい竿」に「しょぼいえさ」。。。え!?しょぼいんかい!!!
と一瞬突っ込みたくなりました。
「ビギナーズラック」の竿に変えて釣ったら、しらす、ひとで、あじ、なまこ(笑)とかが連れましたが、まさに「ビギナーズラック!」!
20回分しか搭載されていないので、あっちゅう間に、なくなりました。
今は、まーくんと同じ「しょぼい竿」と「しょぼいえさ」しかありません。。。
ぐっすん。


そのあと、お寿司屋さんに連れてってもらいました。ってかどなたか?ぴぐさんのお部屋なんですが。。。
ま「へい!いらっしゃい!」
も「お兄ちゃん、いま旬のお薦めは?」
ま「とろ、キロ20万!、一貫1000円だよ」
も「それ、下さぁ~い。」
お寿司のカウンターになってるので、お客さんになって「えび」と「あなご」(江戸前だそうです。)をご馳走になりました。(きゃはは)
あ・・・なぜかお寿司の上に乗っているお寿司屋さんのまーくんでした。
まーくん、いつもほんとにありまとー



ブログ、久しぶりの更新です。ちょっと仕事が忙しくて潜ってました。。。かなり。
きゃはは。
まぁ、急がず、慌てず、仕事じゃなく趣味の域なので、ブログに追われるなんてことなくぼちぼちと更新していきたいと思います。

そうそう、仕事つながりで私って社内でもHPの管理をしていたりします。
(きゃはは)
この社内のHPにもコミュニティー広場や現場ブログがありますが、その中に、「ちょっといい話」のコミュもあるので、お題目をちょっとパクったのですが、まだこの話は社内で投稿していない話です。
これは以前に私の父からメールでもらったはなしです。
ちょっと長くなるのでご覚悟を。

「縁を生かす」
その先生が五年生の担任になった時、生徒の中で一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになった。
ある時、少年の一年生からの記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切、勉強もよく出来、将来が楽しみ」とある。「これは間違いだ。きっと他の子の記録に違いない」先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死に、希望を失い、悲しんでいる」とありました。
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコ―ル依存症となり、子供に暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。駄目と決めつけていた子が、実は、突然深い悲しみをじっと胸に収め、必死になって生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとってまさに目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独りで本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、少年から一枚のカ―ドが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出逢った中で一番すばらしい先生でした」
そして卒業後、六年経って、又カ―ドが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学できます」
十年を経て、又カ―ドがきた。そこには先生と出逢えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任して下さった先生です」
そして一年経って、届いたカ―ドは結婚式の招待状だった。「どうぞ、母の席に座って下さい」と一行、書き添えられていた。
たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
「致知」平成17年12月号の巻頭の記事より
どうでしたか?私はこの話を読んで、すっごくジーンときて泣いてしまい、そしてこの文から色々なことを考え、いろいろなことを学びとりました。
人は人とかかわりを持って生きています。勉強の場で、仕事の場で、日常で、言葉、会話、ふれあい、コミュニケーション、多分人が人とかかわることなく生きていくなら、「人」でなくなるほど、「人」は「人々」にかかわっているのかもしれないですね。
そんな中、見た目で「この人キライ!」とか「この人は生理的に好きじゃない」なんてよくある話ですが、それは人をある一方向からしか見ていない、偏った判断な場合もあるんですね。
こちらの方向から見ると、嫌な面があっても、こちらの側から見るとすっごくステキな人だったり。。。きっとそうなんです。
逆に自分が嫌われちゃうこともあるかもしれません。でも、よっぽどの理由のない限り、自分から人をキライになることはしないでおこう。と思いました。
そして・・・人と出会う事により、人に支えられ、人は救われる。。。
「縁」
あなたと、こうしてして出会った、この文に出会ったことも同じく、「縁」ですね。
「一期一会」
「縁」を大切に。。。と思う今日この頃のももりん♪でした。
(おまけ)



まーくんとキティちゃんグッズのお部屋へおじゃましました。
たまたまだけど、目が眠そう。。。な私。
実際も夜中が多いのでねむねむモードだったり。(笑)

まーくんに「ついておいで」
と釣りに連れてってもらいました。初挑戦!
「しょぼい竿」に「しょぼいえさ」。。。え!?しょぼいんかい!!!
と一瞬突っ込みたくなりました。
「ビギナーズラック」の竿に変えて釣ったら、しらす、ひとで、あじ、なまこ(笑)とかが連れましたが、まさに「ビギナーズラック!」!
20回分しか搭載されていないので、あっちゅう間に、なくなりました。
今は、まーくんと同じ「しょぼい竿」と「しょぼいえさ」しかありません。。。
ぐっすん。



そのあと、お寿司屋さんに連れてってもらいました。ってかどなたか?ぴぐさんのお部屋なんですが。。。
ま「へい!いらっしゃい!」
も「お兄ちゃん、いま旬のお薦めは?」
ま「とろ、キロ20万!、一貫1000円だよ」
も「それ、下さぁ~い。」
お寿司のカウンターになってるので、お客さんになって「えび」と「あなご」(江戸前だそうです。)をご馳走になりました。(きゃはは)
あ・・・なぜかお寿司の上に乗っているお寿司屋さんのまーくんでした。

まーくん、いつもほんとにありまとー


