4月3日(月)
一時保護施設から児相の施設に移動になりました。
4月4日(火)
担当官から、
「転校について、少し前向きになってきたようです。」
と連絡をいただきました。
4月5日(水)
「すももさんの意思が固まりました。
住民票の転出証明を持ってきてください。」
と連絡を受けました。
4月6日(木)
すももの住民票の転出手続きをし、
転出証明と私の所得証明を持って、児相へ。
「承諾書」などの書類に署名押印し、
すももの教科書、体操服、縦笛、ピアニカや作品など、
そしてランドセルを返していただきました。
ランドセルには小さなクマさんが付いたまま。
まだ新しいように見えるそれも、
すももは「要らない」と言ったらしいです。
「ランドセルの中は真っ黒なんですけど、
低学年の頃から汚くて、
なんでこんなに汚いのかなぁ・・っていつも思ってて、
筆箱の中も、キャップをしないからすぐ真っ黒にしてたし、
給食エプロンは、洗ったばかりでもぐちゃぐちゃに入れるし、
娘と私は性格も行動も本当に違っていました。
だけど、それが当たり前なんですよね。
いいところもいっぱいあったのに、
褒めることが下手でした」
担当官と一緒に荷物を運びながらつぶやくと、
「そうやって、振り返ることが大切だと思います。
措置の間は冷却期間でもあるし、
お互いの関係を考え直す期間でもあります。」
と言われました。
週末、教科書や洋服を整理し、
今日は体操服などを卒業した学校へ寄付してきました。
帰ってくるころには身長も体型も変わっているだろうと、
洋服も比較的綺麗なものは知り合いに譲り、
それ以外は捨てました。
一つ一つ娘のモノを手放すたび、胸が苦しくなります。
壮絶な戦いの日々を経験したことがない人には、決して理解してもらえないと思います。
いまだに、親戚にも兄弟にも父にも伝えていません。
子育てを母に任せきりにしていた父、
子育ての苦労をしたことがない姉には、
とやかく言われたくありません。
令和元年の18歳以下人口が約1978万人、
令和元年の一時保護件数は約2.8万件です。
一時保護されるのは千人に一人の割合です。
子どもがかわいくても、この選択肢しかなかったこと、
1000人いても999人には理解してもらえない、
周りの人にはほぼ理解してもらえないものだと思います。
今日は、中学の入学式でした。
当然ですが、児相からも、施設からも連絡はありませんし、
姿を見に行くこともできません。
金曜日からのたった数日で制服は間に合ったのかなとか
気になることはいっぱいありましたけど、
きっと何とかしてくださっているはず。