制約の中の自己表現❗️ | 生きている間にやりたいことをやろう!コーチたき坊のブログ

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「好きなこと、ワクワクすることを生きている間に一つずつやる」をモットーに同じような思いを持つ方を支援するコーチ。2022年ワタナベ薫さん主催のMCCコーチ養成スクール第1期修了。好きなこと、ワクワクすることをやりたい方の背中を押します。













2024.5.15 おはよう御座います💐あっという間に7年経ちました❗️7年前の今日のフェイスブック📚記事から転載します🐰
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【昭和オヤジから息子への話 2017.5.14】
昨日のモーニングクルーズは、過去雨で2回中止されて3度目の正直で無事開催された「ZAGATO」がテーマで、18台の貴重なZAGATOが参加されました🚙
オーナーが愛情を注いで大切にされている車達を眺めて幸せな気持ちになりました。
この時代の車は、職人による手作りに近く、車のデザインは皆個性的で正に芸術品と呼べるものだと再認識しました🐾
芸術品からみで、昨夜の夕食時に、息子に次の話をしました。
今日は、先日も紹介した田坂広志さんのメルマガを読むね、と話し以下を読みました。
以下、田坂広志さんのメルマガから一部引用します。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
田坂広志 「風の便り」 四季  第85便
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 制約の中の自己表現
かつて、シンセサイザーという技術が世の中に現れたとき、この新しい電子楽器を用いて音楽の地平を切り拓いた 冨田勲が、印象深い言葉を残しています。
「音のパレット」とも呼ぶべきシンセサイザーの出現によって、画家が絵の具を混ぜ合わせ、
好きな「色」を作り出すように、我々音楽家も、自由に好きな「音」を作り出せるようになった。
この言葉どおり、冨田勲は、この電子楽器を使って、様々な楽器の音を創作し、ホルストの『惑星』など、大編成のオーケストラの楽曲をも、見事に演奏しました。
しかし、我々は、彼の数々の素晴らしい作品を味わうとき、その作品に感動する一方で、もう一つの素朴な真実に気がつきます。
シンセサイザーの出現によって、どれほど自由に「音」を作り出せるようになっても、古くからあるピアノやバイオリンなど、音の種類に「制約」のある楽器での演奏は、決して無くならない。
そして、その意味を考えるとき、我々は、大切なことを理解します。
アートの本質とは、「制約」の中での自己表現である。
そして、もしそれが、アートの本質であるならば、我々の「人生」もまた、一つのアートである。そのことを、理解するのです。
2003年6月16日
 田坂広志
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以上、引用終わり。
冨田勲さんは、有名な作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者で、映画やドラマ、アニメ、CM、NHKのニュース番組のテーマ曲など、幅広く活躍されていた方だよ。昨年5/5に84歳で亡くなった。特にシンセサイザーを使ってフルオーケストラの演奏をするなどシンセサイザー奏者として有名な作曲家だよ。
今日の田坂広志さんのメルマガは、今から約14年前の話だけど、今読んでも色褪せてないと思うんだ。
音楽の世界では、シンセサイザーが出てきて、全ての音源を表現出来るようになったが、古くからある、ピアノ、バイオリン、フルート、サックスなどの、音の種類に「制約」のある楽器での演奏は、決して無くならないんだ。
田坂さんは、これから「アートの本質とは、「制約」の中での自己表現である」と述べている。
オヤジは、今朝参加した代官山Tサイトのモーニングクルーズで見学した、名車たちを眺めて、同じ思いを馳せていたんだ。今から何十年も前の職人の手による手作りに近い車たちには、現代車のような便利な機能や高性能、安全性などは無いけど、当時の技術の制約の中で自動車会社や職人の手により、一台一台が魂を込めて作られていたんだと、現車を見て感じたよ。これは正に芸術品だなぁと。
田坂さんは、更に哲学的な思考して、もし、制約の中での自己表現がアートの本質であるならば、我々の「人生」もまた、一つのアートである、ということを述べているよ。
とても深く、素晴らしい話だよね。
人間の人生は、有限の命、時間と、その人が生まれてきた国や家などの制約がある。その制約の中で、如何に自分の自己表現をするか、が人生ではないか?正にアートと同じだよね。
おまえは、美術部の部長だから、今日の話は良く考えて感じて理解するといいよ🌏
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