ラマナの言葉

「はじめに、人びとは自分とは身体ではないということを知らなければなりません。なぜならば、彼らは身体およびその他すべてのものであるのに、彼らはもっぱら自分とは身体である、と思っているからです。身体は一つの部分にすぎません。求道者はこのことをしっかりと知るべきです。」

霊的修練のはじめの段階は、私は身体ではないことを知ることです。

そして第二段階は、心ではないということを知ることです。

人によってはそれを知ることのために、苦行に勤しむ人もいますが、それは最初の段階にすぎません。

真我とは身体と心とは異なったものです。

自我での身体は怪我もしますし、病気もしますし、必ず死にます。

真我実現したものでも、病気にもなりますし、怪我もします。
ラマナも骨折をしましたし、最後は癌で亡くなりました。

病や怪我に見舞われた人は、自分が何故こんなに不幸にならなければならないのかともがきます。

しかし、真我実現したものは、どんな病になろうとも常に至福です。

死ぬそのときまでも至福ですし、死んでからも至福です。

それは至福の真我になっているからです。

霊的修練の最終段階で、真我実現できれば、どんなことがあろうとも、常に至福です。