東日本大震災を体験してから、すっかり地震恐怖症になってしまいました(๑•﹏•)
あの日、私の寝室には強化ガラスのオシャレな棚が3段有って、ちょっと秘かに自慢の棚だったのですが、
仕事で疲れて帰って、
ちょっと昼寝を・・と、
寝室のベッドに横になろうとした瞬間に、グラグラ・・
その、ちょっと自慢の強化ガラスの棚が私を目掛けて、飛んで来ました
(;;;・_・)
これはヤバいぞ!!と、
家の外に逃げようとしたが、揺れが強くて、上手く靴さえ履けなかったけど、
何とか家を脱出!!
途中、隣の、登校拒否で引きこもりのお姉ちゃんも、
さすがに家に居られないと思ったのか、半分ドアから体を出していたので、その子の手を引き、
空き地の駐車場の誰のか分からない車に、
集まってきた皆さんと一緒に捕まって、
グラグラ、グラグラ 地が割れる〜〜と思いながら、 皆、キャアア~~と声にならない声をあげながら、必死で車に掴まって耐えていました・・(汗)
とても長い揺れでした~
その瞬間から、プツリと当地は3日半も停電が続き、
空からは容赦無しに雪が降り続きました❄❄
火の気のない室内では、湯たんぽが、3時間で冷たくなる事を知りました。
空いたペットボトルにもお湯を入れて、息子2に布団にくるまっているよう指示をして、
それでも余震の度に、息子に逃げろと叫んで、
家のドアは開けたままにしました。
違う隣のご主人が、今から携帯電話を車で充電するが、
序に充電しないか?と声を掛けてくれましたので、
息子の分と2台お願いしました。
私は近所の商店に、缶詰め等を売ってくれるように走り周りました。
当時はプロパンガスだったので、水とガスだけは助かりましたが、
当時の飼い猫は諦める事にして、
(ドアを開け放しの最中に逃げ出した模様、 後に無事に帰って来ましたが )
こんな大きな地震に、まさか襲われるだなんて思ってもいなかったので、
ラジオの電池も無いし、灯油も残り少なかったし、
反射式ストーブすら持っていなかったので、
凍えるような寒さと、度重なる余震、真っ暗な町並みで、警察官が手信号で交通整理をしていたのを見ていましたが、
その時、まさか、大津波まで来ているだなんて、
息子がワンセグを使用するまで知り
ませんでした。
携帯電話は混雑していて使い物にならなかったけど、NTTのレンタルの固定電話を直で繋いで使っていたので、
電話で安否確認だけは出来たので、
隣近所の方々にも我が家の電話を貸して
(何しろ停電で、コンセントに差し込む式の固定電話は使えなくなっていた模様 )
あの時、初めて会話をする近所の人もいましたが、
助け合えた事は心強かったです🙏
隣町の三沢市、八戸市では津波で死者が出た模様で、
市の防災無線で、海に近づかないよう、かすかだけれど、聞こえて来て、いったい、どんな被害状況かも掴めなくて、
ただただ息子と生き延びる事だけを考えてあぐねて過ごしていました・・・
被害状況は皆さんも既にご存知の通りです😣😣
冬の停電3日半でも、かなりキツイのに、
能登の長い停電は、こちらの比では無かった事は想像に難しく有りません💦
我が家では、息子の重たい学習机が、クルリンパして倒れたり、
聞くと、お仏壇が一回転して倒れたお宅も多数のようでした。
当地は海が無いのが幸いでしたが、
あれ以来、
地震が来る度に、心臓がバクバクしてきて、喉から出そうになってしまいます😣
きっと、PTSD (心的外傷ストレス症候群 )になったのでしょう💦💦
21世紀において、生き延びる事しか考えられないなんて、
初体験でしたもの・・