【比較】

比べるのは過去の自分、1ミリでも成長していたら

自分を褒めてあげましょうルンルン

 

 

例えば、竹と楢の木

する必要のない比較をしています。

比べるのを止めましょう。

竹は楢の木よりも美しいとか、

楢は竹よりも貴重だとか、

いったい誰が決めたのでしょうか? 

 

 

 

竹と楢を比べることは

ナンセンスでバカバカしいことだと、

私たちは誰しもが思うでしょう。 

 

 

 

竹が楢の木になりたいと思っていたり

楢が竹になりたいと思っていたら、

「そんなのおかしなことでしょ。」

と思います。 

 

 

 

二本の木が自分たちを比べ合っている

という考え方そのものが、ばかげていますが

私たち人間にはこの習性を断ち切るのが 

とても難しいようです。 

 

 

 

私たちは、「自分のこと」でなければ、 

「あの人とあなたを比べるなんておかしい。」と 

思うことでも、   

 

 

 

「自分のこと」になれば、

ついつい要らぬ比較をしてしまうことが 

あります。 

 

 

 

時に、人を品定めする癖がある人ならば、 

他者同士のことでもあれこれと比較 

するかもしれません。  

 

 

 

しかし、その癖のある方は、

誰よりも自分と他者をもれなく比べてしまうので、 

一人で自信を失ったりしてしまうものです。 

 

 

 

それがずっとだと、常々心がキュッと

苦しくなることでしょう。 

比較は劣等感を、優越感をもたらす。  

 

 

 

比較しなければ、すべての劣等感、

すべての優越感は消えます。 

ここで言う比較はいわゆる

「自己中心的な比較」です。  

 

 

 

自己中心的というのは、

「小さい自分にこだわること」です。

「小さい自分にこだわって」比較をする時、 

私たちは、自分より上だとか下だとかで

安心を買おうとしてしまいます。 

 

 

 

現実を直視しましょう。  

 

 

 

あなたより美しい人、才能のある人、 

強い人、頭のいい人、あるいは明らかに 

幸せそうな人はつねにいます。  

 

 

 

そして逆に、こうしたすべての意味で 

あなたに及ばない人もつねにいます。

 

 

 

自分とは誰なのかを見いだす道は、 

他人と自分を比較することで得られるのではなく、 

最良の方法でみずからの潜在能力を

発揮しているかどうか、

それを見ることです。 

 

 

 

比較の在り方は現実を見ているようで、 

本当には直視していないからこそ

こじれた比較が起きてきます。  

 

 

 

現実を直視すると、

「比較」ではなく、 

「ただ自分であること」、

 

謙虚に自分と付き合うことが 

できるからです。 

 

 

 

自分が誰なのかを、周りと比べて

見つけることはできません。  

 

 

 

「比較」をする人は、

「自分が誰なのか」を探している人です。  

 

 

 

それは現実を直視することで初めて、

「ただの自分」でいられるし、

周りに必要とされていることが分かります。 

 

 

 

 

ちょっとまわりを見てみて。 

すべてが必要とされていて、

あらゆるものが互いにぴったりと合っている。  

 

 

 

それはひとつのまとまりです。

誰もが比較できないほどユニークで、

個性的なのです。